日本バングラデシュ協会 メール・マガジン(152) 2026年6月号 巻頭言:『ベンガルとは何か(後編):海のベンガル』 村山真弓 日本バングラデシュ協会監事
■目次
■1)巻頭言:『ベンガルとは何か(後編):海のベンガル』
村山真弓
日本バングラデシュ協会監事
■2)寄稿:『バングラデシュの駐在を振り返って~その2~』
ジェトロ企画部海外地域戦略主幹(南西アジア)
安藤 裕二
■3)寄稿:『東のオックスフォードの洗礼』
在バングラデシュ日本国大使館
外交官補 吉沢敬太
■4)寄稿:『日本で広がった世界 、留学生活の中で出会った日本と自分自身』
お茶の水女子大学
サンザナ ミカサ
■5)『イベント情報』
■6)『事務連絡』
■7)『読者のひろば』
・メルマガ5月号の各寄稿への読者の感想をご紹介します。
・メルマガ寄稿への感想ほか、お気づきの点など、なんでもお寄せ下さい。
■8)『編集後記』
■1)巻頭言:『ベンガルとは何か(後編):海のベンガル』
村山 真弓
日本バングラデシュ協会監事
忘れられた海
前回(メルマガ148号)では陸のベンガルについて触れましたが、今回は海のベンガルについてご紹介します。海のベンガルといえば、言わずと知れたベンガル湾です。インド洋の北東部に位置するベンガル湾の名の由来は,最奥にあるベンガル地域に因んだものですが、バングラデシュ、インドだけでなく、スリランカ、インドネシア、ミャンマーにも接しています。その規模は、バングラデシュとインドを足した面積の約4分の3に達し、カナダのハドソン湾に次ぐ、世界最大級の湾です。また、ガンジス川(バングラデシュ側ではパドマあるいはポッダ川)、ゴーダーヴァリ川、クリシュナ川と、インドのトップ3の大河川に加え、ブラフマプトラ川(バングラデシュ側ではジョムナ川)やミャンマーを流れるエーヤワディー川(イラワディ川)など、世界有数の大河川が注ぎ込む豊かな海域です。
ところが、こうした大きさにもかかわらず、20世紀後半からは、忘れられた海となっていました。その主な理由は、第二次世界大戦後、この地域が南アジアと東南アジアに区切られたことが関係しています。東南アジアという呼称は、第2次世界大戦中、連合軍が「東南アジア司令部」を設置したことから国際的に定着したそうです。他方、南アジアは、かつての英領インドおよびその周辺の保護国を中心とするエリアです。この地域区分により、ベンガル湾の真ん中に分断線が引かれることになりました。戦後の独立国家が、外よりも内に目を向け、経済的自立やアイデンティティの確立を希求していったことも、海や外国との結びつきへの関心を薄めることになりました。さらに国際機関や「地域研究」のような学術的領域もこれらの地域区分を採用したことで、こうした区分はあたかも自明のことのように現在、受け止められています。
ベンガル湾コミュニティ
かつてのベンガル湾は、人、モノ、文化の重要な交差路でした。インドと中国という二大帝国を結ぶ海洋ハイウェイでもありました。また仏教を始めとする宗教は、ベンガル湾を挟んで様々な文明の対話を促進しました。現在、南アジアと東南アジアで発見される建築物、陶器、貨幣などに、ベンガル湾の両岸が、相互に影響しあっていた痕跡を見出すことができます。こうした事象から、インドの歴史家スチャンドラ・ゴーシュは、独自の発展過程をそれぞれに内包しつつも、ベンガル湾コミュニティと呼べる緩やかな共同体がベンガル湾地域には存在したと述べています。
ベンガル湾の連結性の結び目となっていたのが、各地にある港です。中世のベンガル湾には幾つかの主要な港が存在しましたが、ガンジスデルタ地域の主要港は現在のチョットグラム(チッタゴン)にあったと見られています。その港は9世紀頃よりSamadarという名前で知られていました。モロッコ生まれの有名な旅行家イブン・バットゥータは、1346年にチョットグラムの港を訪れました。彼の旅行記ではSudkawanという名前で登場します。イブン・バットゥータはその後、川船でシレット、さらにショナルガオン(ナラヨンゴンジ県、当時その地域の首都)を訪問し、そこから中国製の船でジャワに向けて出発しました。ベンガル地方にいたのは2カ月間だったそうです。
12世紀半ばのチョットグラムの港からは、現インド・アッサム州で採れる森林産品、サイの角、ヤクの尾などが出荷されていました。チョットグラムが広大な後背地を持ち、それが港の繁栄を支えていたと考えられています。チョットグラムの港は、モルディブとも交易で結びついていました。ベンガルで通貨として使われていたタカラガイをモルディブから輸入し、ベンガルからはコメ、木製品、繊維製品、砂糖などの日用品が輸出されていました。
15世紀末には、ポルトガル、英国、オランダ、フランスの進出によって、ベンガル湾は対立と競争の場となりました。主導権を握った英国の下で、ベンガル湾の人の動きはさらに活発になりました。一説によれば1840年からの100年間で、2800万人がベンガル湾を渡ったそうです。第2次世界大戦とその後の国家再編で、ベンガル湾の連結性が急速に薄れたのは、先に述べた通りです。
ベンガル湾への新たな関心
「インド太平洋」の重要性にともなって、忘れられたベンガル湾に近年、再び関心が向けられています。2007年の安倍元首相によるインド国会での演説「二つの海の交わり」、2013年に始まった中国の一帯一路戦略構想、2016年の安倍政権による FOIP (自由で開かれたインド太平洋)構想、2017年アメリカの国家安全保障戦略における「インド太平洋」概念の登場など一連の動きを通じて、インド洋の東部海域、すなわちベンガル湾の重要性への認識が高まりつつあります。
その関心は安全保障分野に限らず、ベンガル湾沿岸国の経済的なポテンシャルにも寄せられています。2014年に日本とバングラデシュの間で打ち出された「ベンガル湾成長地帯構想(BIG-B)」はそれを象徴する取り組みでしょう。
2023年には、インド訪問中の岸田元首相が「インド太平洋の未来~『自由で開かれたインド太平洋』のための日本の新たなプラン」にて、「インド北東部とバングラデシュを一体の経済圏としてとらえ、地域全体の成長を促すためのベンガル湾・インド北東部の産業バリューチェーン構想を、インドやバングラデシュと協力して推進していく」と述べました。ベンガル湾を、内陸部であるインド北東地域(アッサム、メガラヤ、ナガランド、マニプル、ミゾラム、トリプラ、アルナーチャル・プラデシュ、シッキムの8州)とも連結していく構想です。その先には、ネパールやブータンも含めたベンガル湾コミュニティの再生を期待する声があります。
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