日本バングラデシュ協会 メール・マガジン(154) 2026年8月号 巻頭言:『若者たちの声』 神戸女学院大学国際学部・准教授 南出和余

■目次
■1)巻頭言:『若者たちの声』
                      神戸女学院大学国際学部・准教授
                      南出和余

■2)寄稿:『タレク・ラーマンは皇太子殿下だった ―2001年総選挙の前夜とその後―』
                      会員 駐バングラデシュ公使(2000~2002)
                      太田清和

■3)コラム『タリクかタレクか』
                      東京外国語大学准教授
                      タリク・シェーク

■4)寄稿:『学生たちの研究紹介①』
                      京都大学大学院文学研究科准教授
                      杉江あい

■5)寄稿:『バングラデシュ料理に魅せられて 第6回』
                      バングラデシュ料理研究家
                      川口由夏

■1)巻頭言:『若者たちの声』
                      神戸女学院大学国際学部・准教授
                      南出和余

■あの政変から2年
2024年に学生たちが起こした「クオータ制度改革運動」からの「7月の蜂起」、そして8月5日の政変から、早2年が経ちました。この間に、約1年半のモハマド・ユヌス氏率いる暫定政権下で憲法一部改訂を含めた法律の改訂が行われ、そして今年2月の総選挙後はBNP党首タリク・ラーマン首相による政権が始動しました。この2年のうち、政変直後の2024年8月半ばから9月半ばまでの1ヶ月間と2025年9月から2026年3月までの7ヶ月間をバングラデシュで過ごす機会に恵まれ、その間「バングラデシュの若者」について考えてきました。私が長年付き合っているのは1990年代生まれ(ミレニアル世代)で、運動の中心を担ったZ世代の前世代なのですが、だからこそZ世代の特徴が浮き彫りになり、そしてZ世代を理解することの難しさと面白さに取り憑かれています。政変を起こした学生たちが求めたのは何だったのか、それが具体的なクオータ制の制度改革以上のものであることは確かであり、それは2月の選挙や政党分析をしても決して見えてはこないもののように思えます。
若者たちが求めているのは何なのか。どのような感覚で、どのような理想を社会や政治に抱いているのか。一部のエリート層の大学生たちの運動に大勢の市民が賛同したことで政変が起きたわけですが、そこで共有された感覚、しかし選挙結果を見る限りにおいては若者たちの「届かなかった(共有されなかった)思い」があり、それは何だったのかと考えています。まだその答えは出ていないのですが、そのヒントになる若者たちの表現を2つ紹介したいと思います。

■政変直後の若者たちによる壁画「デワル・リコン」
2024年8月5日の政変直後、蜂起した若者たちが中心となって繰り広げられた交通整備と清掃活動。その一環として若者たちはダッカの街中に壁画を描きました。その一部の写真(約1200点)を拙作ウェブサイト(https://deyallikhon.com/)に公開しているのでそちらを見て頂ければと思いますが、それらを見ていると、彼ら彼女らの「感覚」を垣間見ることができます。7月から8月5日(7月36日)までを示したカレンダー「Bloody July」、アブ・サイードはじめ「殉教者(ショヒード)」の死、インターネットという人々のライフラインの遮断、そして非暴力抵抗運動の象徴としての行進が街中の壁画に記録されていて、それらの表現とメッセージは、若者たちなりのナショナリズムとグローバリズムに満ちています。
興味深いのは、彼らのナショナリズムの表現が明らかに「1971年の独立戦争の借用」だということ。「1952年/1971年は見ていないけれど2024年はこの目で見た」「シャディン(自由・独立)」「バングラデシュ2.0」といった言葉が溢れています。皮肉なのは、この独立戦争に基づくナショナリズムこそ、彼ら彼女らがアワミ連盟による一党政治の下で受けてきた教育の賜物だということです。前の世代に比べるとZ世代は教育を受け出した頃からアワミ政権下で、政権の交代を見たことがなかったのです。

■映画『デルピ』
7月の蜂起や政変をテーマにした映画はすでに何本か作られ、今後も次々と出てくることと思いますが、その中の1作『デルピ』を紹介します。2025年に製作されたこの映画は、2024年8月の政変(前ハシナ首相のインド逃亡)からストーリーが始まります。舞台はクルナ県デルピ村(仮名)、政変直後の混乱と洪水の中で、人々は目の前の課題と見通せない先々の不安を抱え、世代間のギャップと都市と地方の隔たりが不穏な雰囲気を醸し出します。若者たちは個人的な自らの課題も抱えながら、自分たちが望んだのは何だったのか、結局は元の木阿弥になってしまうだけなのかと悩みます。結末はネタバレになるので述べませんが、この映画は若者たちの感覚をよく表現していると私には思えました。
2025年11月にダッカの映画館で公開されるとたちまち話題となり、1ヶ月を超える異例のロングラン上映。知り合いの政治活動家は4度見たとのこと!私も2度映画館に足を運びました。その後、今年1月末に開催されたロッテルダム国際映画祭でも上映されました。
この映画の監督はラジシャヒ県出身1994年生まれ(32歳)の若いムハマド・トウキー・イスラム監督。子どもの頃から映画に親しみ、バングラデシュ子ども映画協会(国際子ども映画祭を開催)のメンバーでした。『デルピ』はトウキー監督自身による脚本ですが、その製作過程がユニークで、ロケハンで訪れたクルナで村人たちから政変時の話を聞き、その場で一緒にストーリーを考えて脚本を作成。映画に出ている俳優たちは全員がその村の人々で構成されています。演技や表現の豊さは全く素人さを感じさせないのですが、そこには村で今も演じられている民芸劇ジャットラの影響もあるようです。

私は壁画の表現から見ても、「7月の蜂起」を引き起こした若者たちの感覚は都会的かつ極めて現代的で、派生的に市民の不満が共鳴して政変に至ったものの、都市と農村、あるいは高学歴中間層と労働者層の間に温度差があると思っていました。今でもそう思っているところがありますが、映画『デルピ』に描かれている若者たちの葛藤と希望に、都市と農村の差を超えた、あるいは移動する彼らが共有する感覚の一部を垣間見た気がしました。ちなみにダッカの映画館での上映では映画のクルナ方言を補うごとく標準ベンガル語(ってあるのかな?)字幕が付いていて、これもまた若者層の感覚ですね!
日本で映画『デルピ』を紹介できる機会が訪れることを願っています。

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