日本バングラデシュ協会 メール・マガジン(136)2025年2月号 巻頭言:『ベンガルの大地を描くこと2 ― ショフィウッディン・アフメッド』 福岡アジア美術館 学芸員 会員 五十嵐 理奈
■目次
■1)巻頭言:『ベンガルの大地を描くこと2 ― ショフィウッディン・アフメッド』
福岡アジア美術館 学芸員
会員 五十嵐 理奈
■2)寄稿:『JICA 海外協力隊として感じる現在のバングラデシュ』
JICA 海外協力隊 2023年度4次隊 バングラデシュ 職種:建築
安東 貴裕
■3)寄稿:『日本とバングラデシュの文化を併せ持つ』
早稲田大学大学院社会科学研究科 博士課程
植松ブイヤン 百合香
■4)寄稿:『父森本達雄の思い出~その3~』
東海学園大学名誉教授
森本素世子
■5)『イベント情報』
■6)『事務連絡』
■7)『読者のひろば』
・メルマガ 1 月号の各寄稿への読者の感想をご紹介します。
・メルマガ寄稿への感想ほか、お気づきの点など、なんでもお寄せ下さい。
■8)『編集後記』
■1)巻頭言:『ベンガルの大地を描くこと2 ― ショフィウッディン・アフメッド』
福岡アジア美術館 学芸員
会員 五十嵐 理奈
バングラデシュの国づくりと併走してきた美術の黎明期、新生バングラデシュのアイデンティティにおいてベンガルの大地や農村文化の重要性を説き、描いた、近代美術作家を 3 回シリーズで紹介します。
たくさんの目が、睨むようにこちらを見ています。何か恐ろしいものを見てしまったのでしょうか。湧き出るような力強い線とともに、涙なのか汗なのか、水滴も散っています。いったいこの目は、何を見ているのでしょうか。
ショフィウッディン・アフメッド(Safiuddin Ahmed、1922-2012)は、バングラデシュ美術における版画のパイオニアであり、その繊細な表現で多くの賞賛を得てきました。その一方で、作家人生において個展は 2 回のみ、作品を売ることもめったにせず、世間の視線から離れて生きる、控えめな人柄の作家として知られています。
ベンガルの大地や川の豊かさ、自然の大いなる力に深い愛情と敬意をもち、それが生涯にわたって主要なテーマであり続けました。
アフメッドは、英領インドのカルカッタ(コルカタ)に生まれ、1942 年、カルカッタ芸術学校を優秀者として卒業し、卒業と同時に芸術学校の先生に着任するほどの高い評価を得る若き作家でした。40 年代中頃は、カルカッタ北のジャールカンドをしばしば訪ね、手つかずの自然とともに暮らすサンタル族を取材し、細部まで丁寧に描きこまれた木版画や銅版画を制作しました。
1947 年のインド・パキスタン分離独立の時、何世代にもわたって愛し住んだカルカッタを後にします。後にバングラデシュ美術の基礎を築いたザイヌル・アベディンやカムルル・ハサンとともにダッカに移り住み、ダッカ美術学校の創設に尽力しました。とくに版画学科長として 1979 年まで、学生の指導にあたりました。50 年代、アフメッドは自然界に秘められたさまざまな線を見出していきます。ベンガルの川や水のリズミカルな動き、船の曲線、漁網の網目、空を舞う風の流れ、魚の姿などをとらえ、美しい線と形による銅版画に表していきます。1956 年には、ロンドンへ留学して最新の版画技法を習得し、初の個展をロンドンで開きます。しかし、1959 年に帰国してみると、バングラデシュ(東パキスタン)は、西パキスタンの権威主義的な軍事政権下に置かれ、息苦しい社会となっていました。アフメッド作品の多くは半抽象画で、めったに人物が描かれることはありません。しかし、この時、抑圧に対する怒りから、抽象画のなかに人間の感情を表す目を入れるようになります。魚の姿は目の形になり、次第にはみ出さんばかりの大きさで描かれ、画面を圧倒するような激しい怒りの表情になっていきました。
バングラデシュ独立を振り返って 1988 年に制作された銅版画《記憶の 71 年》には、この怒った魚たちがうごめいているのです。睨むようなたくさんの目は、圧政に怒った魚であり、ベンガルの大地です。多くの暴力を見てしまった魚は、その目に涙を溜め、現実に耐えています。アフメッドは、政治社会的なテーマを直截的に描くことはなく、また政治活動家として直接関わることはありませんでしたが、束縛されることのないエネルギーの源であるベンガルの自然をとおして、現実への応答をしているのです。
※日本で最初にショフィウッディン・アフメッドが紹介されたのは、「第2回アジア現代美術」展(福岡市美術館、1980 年)。
また、現在、福岡アジア美術館には《レモネードスタンド2》(1988 年)が所蔵されています。
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