タゴールの日本文明論と世界平和

 

野呂元良
2020年6月19日

(始めに)

本年2020年5月7日は、アジア初のノーベル文学賞受賞者、詩聖ロビンドロナト・タゴールの生誕159周年であり、また、1916年の日本初訪問から、104周年である。大詩人であり大哲学者であるタゴールの日本国民に対する高い評価と強い期待を再確認したい。

(現代文明の危機)

  1.  第二次世界大戦開始から3年目、タゴールの逝去の約4カ月前の1941年4月、タゴールは「文明の危機」という予言的な重要論文を発表。以下、最後の部分を抜粋する。「今 あたりを見まわすとき、高慢な文明の崩れゆく瓦礫が廃物の山となってほうぼうに散在しているのをわたしは見る。それでもなお、私は、今日の挫折を決定的なものとみなして、「人間」への信仰を失うという痛ましい罪を犯しはしないだろう。わたしはむしろ、大動乱(注:第二次世界大戦)が過ぎ去ったあとの、歴史の新しい章のはじまりを、奉仕と犠牲の精神で浄められた晴朗な大気を待ち望みたい。おそらくそのような曙光は、この地平から、太陽の昇る東洋からさし昇るだろう。いつの日か、不滅なる人間が、失われた人類の遺産を取り戻すために、あらゆる障害を乗り越えて、かつての征服の道をひきかえす日が来るだろう。今日われわれは、権力の無礼が大きな危機に瀕しているのをこの目で見ている。古の賢者が宣言した真理が完全に立証される日が、やがて来るだろう―― 『不正によって人は栄え、望むものを得、敵を征服する。されど本質においては滅びているのだ。』」(アンダーライン・注は筆者、以下同)
  2.  タゴールは、西洋文明の限界を痛烈に批判している。しかし、「私は、ヒューマニティーへの大いなる信仰をもっています。それは太陽のように一時的に雲に隠されることはあっても、決して消滅することはありません。」と述べているように、タゴールの人間性に対する「信仰」は絶対的なものである。全ての人間の生命に内在する最高善を信ずる点で、「非暴力は必ず暴力に勝利する」と信じ、「精神の力は原爆よりも強い」と述べたインドの国父マハトマ・ガンジーの不動の信念と通ずるものがある。
  3.  この西洋科学技術文明の限界を超克する(注:西洋科学技術文明の否定ではない)のは「東洋の哲学」であろう。タゴールは「その(東洋哲学の)曙光は、太陽の昇る東洋からさし昇る」と洞察している。 東洋とは日本を指すのか、はたまたインド・中国等か定かではないが、以下のタゴールの発言からみて、日本を暗示しているのではないかと思われる。 1916年初来日の折、タゴールは私の母校である慶応義塾大学で「日本の精神」と題する講演を行ったが、その中で、「永遠の光が、再び東洋、すなわち人類の歴史における朝日の誕生の地であった東洋に、輝く日がくるでありましょうから。そしてアジアの東の端にある地平線の上にすでにその曙光が広がり、・・・。」と述べているからである。

(日本文明と文化の本質)

  1.  タゴールは生前5回訪日しており、日本をこよなく愛した。日本に対し、「かつてこの国におけるほど、人間らしいものの存在をはっきり感じたことはだだの一度もありませんでした」とまで述べている。先に述べた慶応義塾大学での講演で、タゴールは西洋について次のとおり述べている。「西洋は、この宇宙の中に起こる諸現象間の闘争を特に強く感じとってきた。その闘争は征服によってのみ制御できる。したがって西洋はいつでも戦闘の用意ができているのであり、その注意の大半は、力を組織するということに向けられている。西洋の天才は、その国民に組織の力を与えました。それは特に、政治と商業と、科学知識の総合の面にその姿を明確にうちだしてきたのであります」
  2.  一方、日本に関しては、「自然の秘密をあなたがたが分析的知ではなく、共感によって知っておられるその確信」であるとして、日本人の自然に対る共感力・自然との一体性に感動している。そして、「こうゆう自然の秘密を常に生活の中に同化しえてきたこと、すべてのものの美のなかにある真理が、あなたの魂の中へしみ透っていることを感じる」と述べている。
  3.  タゴールは「愛と喜びの中で自然と結合するというそのことが真の天才の業であり、日本の天才は日本人に自然の美についての洞察力とそれを生活の中に実現する力とをあたえた。」そして「この事実の故にこそ、組織の力というものも、日本がそれを必要とした時には、容易に日本の助けとなることができたのであります。なぜなら、美の律動(リズム)は内なる精神であり、その外側にある肉体が、すなわち組織なのでありますから」と述べている。タゴールの言う「美のリズム」の精神性とは具体的には何を意味するのか、今後日本国民が真剣に探求すべき根本的課題であろう。
  4.  更に、タゴールは、「日本は自然を支配することを自慢しない。この上ない配慮と喜びをもって数々の愛の捧げものを自然に向かってさしだす。日本と世界(筆者注:自然を含む)の関係はより深い心の関係である。この精神的な愛の絆を、日本は、その国土の丘や海や水の流れや森林との間に樹立してきた。日本は森の葉ずれのささやきやタメ息、または波のすすり泣きを心の中に取り入れてきた。日本は、太陽と月の、光と影の転調をくまなく研究してきました。日本は、その果樹園や庭園や麦畑に折々の季節が訪れて来ると、喜んで店を閉めて迎えにいく」と述べ、「世界(自然)の魂に対する、人の心のこのような開放は、日本の一部特権階級のみに限定されたものではありません。それは、外来文化の影響から生まれた強制的な産物ではなく、日本のあらゆる境遇の全ての男女に属するもの」と述べており、大変興味深い。そして最後に、「日本文明は人間関係の文明であります」と述べている。更に、タゴールは、「日本文化の根底には、マイトリー(筆者注:梵語:結合・アライアンス・パートナーシップのほか、友情、慈愛といった意味がある)への理想がある、それは、人と人との結合、そして人と自然との結合です」と述べている。また、タゴールは、「人間の間に結合をもたらし、平和と調和を築くことこそが、文明の使命である。」と述べている。

(日本文明の人類史的使命)

  1.  過去、日本文明は、古くは、インド、中国、朝鮮・韓半島、近代は欧米諸国の各種文明の大きな影響を受けてはきたが、その本質的基底部は、独自性を有するというのがタゴールの見方である。どの国の文化・文明も、他の文明の影響を受けているであろうが、その基底部は、各自人間の個性のように、独自性を有しているのではなかろうか。タゴールは日本国民にお世辞を言ったわけではない。人間生命と宇宙生命の融合を謳う天才詩人の立場からの率直な感想を述べつつ、当時、西欧列強に対抗できる唯一のアジアである日本に大なる期待をかけたのかもしれない。また、政治・軍事・経済に偏った日本国民の生命の不均衡性に警鐘を鳴らしたのかもしれない。
  2.  現代は、利己主義の時代である。人間生命の尊厳・人権を正しく認識・評価せず、経済的利益を最優先してきた「経済のグローバリゼイション」思想、そして自国のエゴを通すため・自国防衛のためなら、相手国・国民を抹殺することも致し方ないという思想が、人類空前の負の遺産(副作用)である各種地球規模問題群(核兵器の存在、気候変動、戦争・内乱、国内外の経済格差拡大、国際テロ、難民問題、麻薬・人身売買等)をもたらした元凶といえよう。
  3.  タゴールの言う日本文化の独自性が、人間と人間、人間と自然、人間の集合体である国家(民族)と国家(民族)等との「結合への理想」であるならば、日本国民の決意と行動が、この複合危機を乗り越える「鍵」を握っているのではないか。   御存じのように、経済のグローバリゼイションの副作用は、今や末期症状を呈し、前述のとおり、今日、目に見える醜悪な形で出現している。未だおきてないのは、核戦争だけである。実に恐ろしい現実である。今、全人類一人ひとりがこの現実を直視しつつ、利己主義と無関心・無責任を超克しつつ、価値的な実効性ある行動に出るときである。さもなくば、いずれ来るものが来る可能性もある。しかし、人類の破滅は絶対避けなければならない。

(日本の覚醒)

  1.  タゴールは、前述の慶応義塾大学での「日本の精神」と題する講演で、日本の帝国主義を西洋の猿まねと痛烈に批判した。曰く、「民族の誕生とともに誕生し、以来、幾世期もの間、養い育てられてきた活きた理想(筆者注:日本の「人間関係の文化」、「人と人・自然との結合への理想」)よりも、この機械(同:西洋の帝国主義)の方を愛好している人々もあります。それは、たとえば子供に似ています。一生懸命に遊んでいるうちに、お母さんよりも、この玩具の方が好きなんだと思いこんでしまう子供のように」。これに対し当時の日本の官民は、(英国の)植民地である弱小国の、権力者(政治家等)でもない、たかが詩人のたわごとにすぎないとして馬鹿にし、この心からの友情と忠告を完全に無視した。その結果、それから30年もたたないうちに、タゴールの預言どおり、日本(軍事政権)は崩壊した。
  2.  前述の慶応大学でのタゴールの講演から、1世紀余りを経過した現在の世界の状況は、100年前と酷似している。「帝国主義」が「経済のグローバリゼイション」に入れかわっただけで、個人・国家のエゴが優先され、「人間生命の尊厳性」に対する畏敬の念は薄れている。それどころか、前述の通り、核戦争・気候変動・経済格差拡大等の複合的危機の諸問題の複雑性と深刻性は、1世紀前よりもはるかに拡大かつ悪化していると言える。タゴールの言う「文明の危機」は、未だに進行形であるし、このまま進むと、「(人類)文明の滅亡」になりかねない。印度近代農業の父、M.S.スワミナタン博士曰く、「技術の「プッシュ(推進)」が倫理の「プル(抑制)」とマッチしない限り、人類は災厄の中に終焉を迎えるだろう。同様に「精神のグローバリゼイション」なき「経済のグローバリゼイション」も災厄の中に終わりを迎えることになるであろう」と。
  3.  日本と世界は、「人間と人間の結合(非暴力/対話の文化)」、「国家と国家の結合(平和共存の文化)」、「人間と自然の結合(環境保全の文化)」への理想の実現に一層の勇気をもって前進すべきである。

人類の生存が一番大切という思想に基づくならば、平和主義・文化主義・自然環境保護こそ日本と世界のとるべき道である。政治・経済・外交はそのための手段に過ぎない。
特に、日本は、「経済のグローバリゼイション」の負の遺産を克服する「精神のグローバリゼイション」の先駆者として世界を善導すべき使命を有しているのではなかろうか。タゴールが「それぞれの民族は、世界を明るく照らすために、自己の役割として、その民族に固有な精神という灯火をともしつづける義務を負っている」述べているように、各民族は、その国力、規模の大小に関わらず、平等であり、どの国も、世界の安定と発展のための使命を有している。今こそ日本は世界と共に、文化的平和的使命を果たすべき時である。

(結び)

100年前の日本国民は、タゴールのアドバイスを完全に無視し、アジアの隣国諸国に耐えがたい多大の苦痛を与え、歴史的な大失態を犯した。
現代の日本国民も、再びこのタゴールの魂の叫びを無視するのであろうか。今度は「たかが詩人のたわごと」ではすまないのである。今や日本一国の問題ではない。「精神のグローバリゼイション」の実現と「世界市民」の創出の成否に、人類の存亡がかかっているからである。特に日本と世界の青年の「勇気ある目覚め」に期待したい。現在進行中のパンデミックに対し、人類が一丸となって試練に立ち向かう今、「生命尊厳」の理念を堅持しつつ、「変毒為薬」(ピンチをチャンスに)の英知を輝かせて、日本と世界の青年の友情と連帯を構築しつつ、人類の恒久平和の基底部を構築することが喫緊の課題である。(以上)