日本バングラデシュ協会 メール・マガジン112号(2023年2月号) ■1)巻頭言:『バングラデシュ美術教育のはじまり(3) ―忘れられたメヘシュワール・パシャ美術学校』 福岡アジア美術館 学芸員 会員 五十嵐 理奈

日本バングラデシュ協会の皆様へ
■目次
■1)『巻頭言:バングラデシュ美術教育のはじまり(3)―忘れられたメヘシュワール・パシャ美術学校』
                                   福岡アジア美術館 学芸員
                                   会員 五十嵐 理奈
■2)寄稿:『 バングラデシュでバラタナティアムを踊る』
                                   進藤利恵
■3)寄稿:『ベンガル人も『行ったことない・よくわからない』という謎多き(!?) チッタゴン丘陵(その4:入植政策、和平協定、引き続く抗争)』
                                   NPO法人 WELgee代表
                                   渡部カンコロンゴ清花
■4)理事寄稿:『バングラデシュの妹Dr. Rubina Husainは、私の誇り』
                                   理事 古家(こが)秀紀
■5)イベント、講演会
■6)事務連絡
■7)『読者のひろば』
 ・メルマガ1月号各寄稿への読者の感想をご紹介します。
 ・メルマガ寄稿への感想ほか、お気づきの点など、なんでもお寄せ下さい。
■8)編集後記

■1)『巻頭言:バングラデシュ美術教育のはじまり(3)
―忘れられたメヘシュワール・パシャ美術学校』
福岡アジア美術館 学芸員
会員 五十嵐 理奈

近年、ますます活気にわくバングラデシュ美術。その礎となったバングラデシュ近代美術の創成期を、美術教育の立ち上げに関わった美術作家と美術学校の活動から3回シリーズで紹介します。

バングラデシュ美術教育のはじまりを紹介するシリーズ最終回は、バングラデシュ最初の美術学校、メヘシュワール・パシャ美術学校(Meheshwar Pasha Art School)を紹介する。英領インド期の1904年、ひとりの美術作家が私財を投じて地方都市クルナに設立した学校である。


シャシブション・パル《無題》制作年不詳、油彩・板
Courtesy of Shoshibhuson Paul Art Gallery, Fine Arts School, University of Khulna. Photo: Jannatul Royhana,(図録 “Dhaka Art Summit 2020” 138頁より)

設立者シャシブション・パル(1877-1946)は、英領東ベンガルで人気を博した画家で、イギリスの植民地官僚や地元の富裕層からの依頼を受けて多くの肖像画や風景画、戦闘場面などの油彩を手がけた。
クルナに生まれたシャシブションは、幼い頃から土粘土や木彫りなど創作の才能を発揮していたが、父の死後、生活が困窮して学校に行かれなくなった。しかし、美術への関心やまず、たびたびカルカッタ官立美術学校に出入りしては、西洋絵画の油彩の技法を習得した。その腕前を知った美術学校の先生方による資金援助により、シャシブションは多くの油彩を描くことができ、美術評論家のあいだでも彼の名が広まった。その後、高校の美術教師をしながら、イギリスやフランスの展覧会にも出品し、多くの賞を得て活躍を重ねた。
そして、1904年、27歳の時、地元クルナの実家の敷地にメヘシュワール・パシャ美術学校を設立した。4年制の授業が組まれ、シャシブションのみならず、妻のカミニ・シュンドリ(1883-?)が刺繍絵画を教え、息子たちも教師として美術学校を家族で支えた。シャシブションは、1946年に68歳で亡くなるまで41年間学校長を務めた。1925年頃にはベンガル総督のリットンが美術学校を訪問したり、設立者のシャシブションに英政府が名誉賞を授けるなど、その活動は高く評価された。
しかし、1947年のインド・パキスタン分離独立後、1948年にダッカ美術学校が設立されると、メヘシュワール・パシャ美術学校の重要性は次第に失われていった。また、シャシブション自身の多くの作品も散逸してしまい、近年まで美術史から忘れさられていた。

1983年、当時の学校長らの努力により、美術学校を国立大学の附属校(クルナ美術学校、現在は国立クルナ大学芸術学部)へとする組織改編がなされ、学位が取得できるようになった。そして、2000年代に入り、クルナ美術学校の学長や卒業生たちが、美術学校に残された遺作や資料などを調査し、その功績を歴史的に紐解く展覧会やシンポジウムを開いたことで、忘れられていたメヘシュワール・パシャ美術学校とその設立者ショシブション・パルが再発見されたのである。
イギリス植民地から独立後、国づくりを背景として始まったダッカ美術学校(1948年)やチッタゴン大学芸術学部(1969年)が、大都市に設立された政府系の学校だったのに対し、バングラデシュ最初の美術学校は、ひとりの個人的な努力により、公的な支援を受けることなく、都市から離れた農村部に生まれた私的な美術学校だった。シャシブションは、自らが美術作家として作品を描くだけではなく、地元の小さな村から美術作家を生み出すという活動に全人生を捧げたのである。

現在、バングラデシュの美術教育機関は、ダッカのほか、チッタゴン、クルナ、ラッシャヒなどの地方都市に国立の美術大学・学部があり、ダッカには私立大学の芸術学部も増えた。2010年以降、経済成長とともにバングラデシュの美術界は活性化しており、美術大学で学んだ卒業生たちが活躍するアート・スペースやギャラリーでの展覧会、毎年大規模国際展が開催されるまでに成長している。

 

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