日本バングラデシュ協会 メール・マガジン(141)2025年7月号 巻頭言『オニヨムタイ ニヨム OniyomtaiNiyom』 京都大学東南アジア地域研究研究所 安藤和雄

■目次

■1)巻頭言:『オニヨムタイ ニヨム OniyomtaiNiyom』
京都大学東南アジア地域研究研究所 安藤和雄

■2)『朝田照男名誉会長の退任のお知らせ』

■3)『第12回社員総会のご報告〜第12期理事・監事の紹介〜』

■4)シリーズJICA第7回:『バングラデシュでの中小企業・SDGsビジネス支援事業』
JICAバングラデシュ事務所
所員 天田聖

■5)寄稿:『「フォキルの人生〜クシュティア・ラロン廟へ」(前編)』
映画監督/映像ディレクター
阿部櫻子
■6)寄稿:『東西ベンガルの言語政策の比較』
東京外国語大学
博士前期課程1年
木越康二
■7)『イベント情報』

■8)『事務連絡』

■9)『読者のひろば』
・メルマガ6月号の各寄稿への読者の感想をご紹介します。
・メルマガ寄稿への感想ほか、お気づきの点など、なんでもお寄せ下さい。

■10)『編集後記』

 

■1)巻頭言:『オニヨムタイ ニヨム OniyomtaiNiyom』

京都大学東南アジア地域研究研究所 安藤和雄

オニヨムタイ ニヨム。バングラデシュの友人のロキブさんがよく使う言葉である。「規則に違反することが規則だ」という、バングラデシュ国民の自嘲の言葉である。彼が運転する車に乗っている時に、車や、オートリキシャ、イージーバイクが横入りしてきて渋滞に巻き込まれると、この言葉が彼の口から頻繁にでる。政治家のスキャンダルに対しても使われ、バングラデシュではしばしば聞く言葉である。

2025年7月10日に息子と二人でダッカに到着し、すぐにタンガイルに向かった。12日、ロキブさんの車でマイメンシンのバングラデシュ農業大学を目指した。モドプール丘陵に差しかかると、パイナップルを満載したオートリキシャ(写真1)とイージーバイク(写真2)が国道の両側に並び、ところどころ道を塞いでいた。マイメイシンでは、息子が研究するコリアンダーであるドニア・パタ(茎葉)やドニア・ショーズ(種子)の市場調査をするために、イージーバイクで出かけた。イージーバイクの渋滞で塞がれた道は逆走ありの状態で、分離帯で仕切られた二車線の道路は、いつの間にか三車線となっていた。臨時の三車線は、右折で線路沿いの道路に入るために「自主的に」現れた。運転手同士による「あっちへいったらどうか」「ぶつかるぞ」などの口論はあるが、喧嘩は起きない。混沌とした無秩序の中にそれなりの秩序が生まれ、交通整理の警察官が誘導しなくても、皆、慣れたものである。「逆走だ」という野暮なことを言う人もいない。

規則を守ることが好きな日本人であれば辟易するような風景でもあるが、必要だからという暗黙の合意で自主的に三車線が認められる。オニヨムタイ ニヨムの風景が、バングラデシュでは繰り返されている。こうした風景に表れるバングラデシュの国民性に魅力を感じ、惹きつけられる人も少なくないのではないだろうか。私もその一人で、オニヨムタイ ニヨムにバングラデシュの人々がもつたくましさや、社会のレジリエンスの強さを感じている。

オニヨムタイ ニヨムは、バングラデシュの稲作にも顕著だ。バングラデシュと日本の人々が共通して営む稲作には、両国の文化の特徴を見ることができる。2024年7月号の巻頭文で触れた除草文化の違いのように、日本の稲作は、苗半作といわれ、赤ちゃんを育てる時期に例えられるほど、苗の時期を大事にする。しかし、バングラデシュの稲作は、そうではない。苗代の管理はいい加減で、枯れたような苗でもお構いなしだ。直播された田の場合は、苗の状態のときに、ビンダという櫛型まぐわで稲と雑草をひっかいて除草し、洪水による増水を待つ。乾季の高収量品種の灌漑移植稲作でも、除草目的や田の濾水対策で、移植苗にビンダがかけられる。日本ならば苗が傷つく、苗が抜けると怒られる技術である。

タンガイルからマイメンシンへ続く道路沿いの田では、20~30㎝に伸びた雑草がびっしりと生え、水が溜まったなか、耕耘機による荒起こしが行なわれていた(写真3)。他の田では移植アマン稲の田植えが始まっていた。耕耘機でひっかきまわして草が腐っていけば、モイとよばれる竹の梯子状のまぐわをかけて均平にせずに、数日後に苗を移植することも珍しくないという。手植えだからできるのだろうが、田植え機を使う日本の稲作では、手植えの時代でさえも、こんな荒っぽい田ごしらえで田植えは行わない。相当に荒っぽく、いい加減な稲作である。熱帯生まれの稲にとって過保護は必要ないと稲が主張しているかのように、稲の生きる力を信じ、引き出すような栽培技術だと私は思っている。

写真3 荒起こし兼代掻き2025年7月

いずれも農民の主体性が生み出した技である。とくに、高収量品種の移植栽培でのまぐわかけには、試験場もびっくりしたことだろう。栽培学では、物理的なストレスをうけた稲の茎は成長ホルモンのエチレンを出し、分げつ(稲が田植え後に新しい茎を出し、茎数を増やしていくこと)を促進すると教える。農民は稲をよく観察し、理にかなった栽培技術を実践しているのである。根がしっかりと張った稲は、ビンダくらいではそう簡単に抜けない。つまり、彼らのいい加減さには実はそれなりのジュクティ(理)が潜んでいて、分からないのは非当事者だけなのである。良いところはこだわりなく自由に、積極的に取り入れていこうというのが、バングラデシュの農民の当事者としての主体性が発揮された稲作の特徴である。それがオニヨムタイ ニヨムとも言えるだろう。

オートリキシャの登場にも私はそれを強く感じている。モドプールの道の両脇を埋め尽くしたパイナップルを積み込んだ荷物運搬のオートリキシャの前輪には、村の未舗装道路との苦戦を物語る赤土の泥がへばりついていた(写真1)。これを見ても、オートリキシャの登場がいかにリキシャ夫の救世主であったかが分かる。私がオートリキシャを意識するようになったのは、2013年頃だった。タンガイルの街で、ペダルをこぐこともなくダッカからマイメンシンへと続くメインの舗装道路を走っているリキシャに驚いた。当時のダッカでは、リキシャが主要道路から締め出されたことに加え、オートリキシャの事故の危険性が指摘され、地方都市よりも目立つようになったのは遅かったと記憶している。

オートリキシャは、イージーバイクが中国から輸入されて、それを応用したものだと聞いている(オートリキシャについては、三井昌志さんがTABISORAの旅行記2013年(No.50)「電動リキシャが開く未来」<https://www.tabisora.com/travel/report2013/b11.html>で詳しく述べられている)。リキシャの起源は、もともと日本の明治、大正期の人がひく二輪の人力車である。1979年にカルカッタを訪れた時に、私は二輪の人力車を見ている。バングラデシュは当時すでに三輪の自転車がリキシャだった。バングラデシュの独立戦争の時の写真にも三輪のリキシャが映っているので、東パキスタンとバングラデシュで、二輪から三輪、人が引くことから自転車、電動へと、動力源の革新をなしとげたことになる。リキシャを運転している当事者は、その恩恵を強く感じたことだろう。

アインシュタインは、1922年に来日したさい、非人道的という理由で二輪の人力車に乗ることを拒否した(「レファレンス協同データベース」https://crd.ndl.go.jp/reference/entry/

index.php?id=1000340438&page=ref_view)。しかし、非人道的と捉えられた人力車を、バングラデシュではリキシャからオートリキシャへと、技術革新によって再生させた。イージーバイクからの電気技術の借用は、それを規制しなかった(?)バングラデシュ政府の姿勢も大きい。オートリキシャが急激に広まるようになり、その危険性から政府は、ダッカ市内や全国でのオートリキシャの規制に乗り出した。それでもなお、オニヨムタイ ニヨムを貫き通したオートリキシャの車夫たちとオートリキシャを製造・保守し続けているワークショップに、私は喝采を送りたい。

バングラデシュの国民性とも言えるオニヨムタイ ニヨムは、アインシュタインの慧眼である非人道的という批判に応えるように、オートリキシャをバングラデシュに登場させた。私は、オニヨムタイ ニヨムが人間性(ヒューマニティ)を土台としたバングラデシュの国民性につながっていると思っている。規則は時に非人道的である。それをバングラデシュの人々はよく心得ているのだろう。だからこそ、躊躇なく従わない場合があるのだ。与えられた規則を守ることを美徳化し、生きる規範としがちな私たち日本人が学ばなければならない、規則との向き合い方ではないのだろうか。バングラデシュの人々はシャディン(自由)を愛し、謳歌する。

 

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