日本バングラデシュ協会 メール・マガジン(144)2025年10月号 巻頭言:『ベンガルの絵師ポトゥアという画家 —インドのジャミニ・ロイとバングラデシュのカムルル・ハサン』 福岡アジア美術館 学芸員 会員 五十嵐 理奈
■目次
■1)巻頭言:『ベンガルの絵師ポトゥアという画家
—インドのジャミニ・ロイとバングラデシュのカムルル・ハサン』
福岡アジア美術館 学芸員
会員 五十嵐 理奈
■2)『祝:モンズルール・ハック氏外務大臣賞受賞』
■3)寄稿:『バングラデシュとの縁 〜8年間の赴任経験とつながり(前編)』
会員
田部 元太
■4)寄稿:『バングラデシュの駐在を振り返って~その1~』
ジェトロ 安藤 裕二
■5)寄稿:『ダッカでの10か月のインターンシップ経験を通して』
東京外国語大学 言語文化学部ベンガル語科4年
棚橋 黎
■6)『イベント情報』
■7)『事務連絡』
■8)『読者のひろば』
・メルマガ9月号の各寄稿への読者の感想をご紹介します。
・メルマガ寄稿への感想ほか、お気づきの点など、なんでもお寄せ下さい。
■9)『編集後記』
■1)巻頭言:『ベンガルの絵師ポトゥアという画家
—インドのジャミニ・ロイとバングラデシュのカムルル・ハサン』
福岡アジア美術館 学芸員
会員 五十嵐 理奈
巻頭言のバングラデシュ美術連載の最後にあたり、バングラデシュ美術の礎となったイギリス植民地期のベンガルとバングラデシュをつなぐ絵師たちの作品で締めくくりたい。
大きな目に長い首、上向いた尻尾が愛らしいこの子鹿は、1940年頃、英領末期のインド東部ベンガルの農村に生まれました。作者のジャミニ・ロイ(1887-1972)は、インドを代表する近代画家で、今なお多くの人々に愛される作家です。
ベンガルの農村に生まれ、民俗芸術に親しんで育ったロイは、コルカタ(当時カルカッタ)に上京し、1903年にコルカタ官立美術学校に入学しました。イギリスが19世紀後半にインド各都市に設立した美術・工芸学校のひとつで、西洋絵画の遠近法や陰影法、油彩などの技法を学びました。西洋絵画の技術を見事なまでに習得し、一時は油彩の肖像画で身を立てるほどでしたが、大都市コルカタに馴染むことができず、その後、村に帰りました。村に戻ってからは、西洋の写実主義から一転して、ベンガルの民俗画にあるようなシンプルで大胆な線描に、混ぜ合わせない色を用いた平面的な作品を発表するようになります。
《子鹿》は、ベンガル農村に戻った後に描かれた作品で、美しい女性を表すアーモンド型の目をした子鹿が、大胆で太い一筆書きのような線で描かれ、下部のカラフルな半円型の文様は、ベンガル農村の絵師がポトと呼ばれる絵巻物型の紙芝居に描く縁飾りの花文様を彷彿とさせます。農村に生きるベンガルの絵師の道を歩んだロイの代表作のひとつです。
一方、ロイより30年ほど後のベンガルに、やはり農村の絵師でありたいと願うもう一人の画家が生まれました。英領インドのコルカタに生まれ、後にバングラデシュ近代美術の重要作家となるカムルル・ハサン(1921-88)です。ハサンは、保守的なムスリムの父親の反対を押し切って、1938年にコルカタ官立美術学校に進学し、学生時代は植民地下で抑圧された人々の姿を政治的な版画として発表するなど、イギリス植民地主義への抵抗運動にも関わりました。1947年のインド・パキスタン分離独立の後は、東パキスタン(現バングラデシュ)に移住し、ダッカ美術学校の設立、民俗芸術の保護復興運動、バングラデシュ独立運動などに奔走しました。
《女性》は、緑の木々を背景にした愛らしい仕草の女性が画面をはみださんばかりに生き生きと描かれた油彩画。その目は、ロイの《子鹿》のような大きなアーモンド型です。豊かな色彩と流れるような線描で人や生き物を溌溂と描くことを得意としたハサンは、活動家としての人柄とともに、ベンガル民俗芸術に立脚した素朴でデザイン性に富む作風を築き、多くの人に愛され続けています。
自らを農村の絵師と称した2人の画家は、英領インドからのインド・パキスタン分離独立が、ベンガルをヒンドゥーとイスラームという宗教によって東西に分けたため、1947年以降は別々の国に生きることになりました。しかし、2人の絵師は、ベンガル固有の装飾性や民俗的な造形表現と西洋近代美術の様式が強く結びついた表現で、それぞれの国に現在に続く美術の流れを生み出したのです。
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