日本バングラデシュ協会 メール・マガジン(140)2025年6月号 巻頭言:『ベンガルの大地を描くこと3 ― カイユム・チョウドリー』 福岡アジア美術館 学芸員 五十嵐 理奈

■目次

■1)巻頭言:『ベンガルの大地を描くこと3 ― カイユム・チョウドリー』
福岡アジア美術館 学芸員
五十嵐 理奈

■2)寄稿:『「ダッカ日本人学校中学部で学んだ思い出』
完成直後の新校舎で1990年4月〜1992年5月まで日本人学校で学んだ
古家(こが) 健司

■3)寄稿:『ロヒンギャ難民危機の現状と課題:教育・食糧・治安情勢の複合的視点から』
日下部尚徳(立教大学)、田中志歩(広島大学大学院博士後期課程)

■4)寄稿:『在日ムスリムの直面する困難
——在日ムスリムの土葬と多文化共生に関する考察——』
東京大学大学院総合文化研究科多文化共生統合人間学プログラム修了
ラフマンヌール瑠美花

■5)『イベント情報』
・日本バングラデシュ協会 第49回講演会のご案内 2025年8月2日(土)14時00分~
・東京外国語大学オープンアカデミー 夏期間短期集中オンライン講座のお知らせ

■6)『事務連絡』

■7)『読者のひろば』
・メルマガ5月号の各寄稿への読者の感想をご紹介します。
・メルマガ寄稿への感想ほか、お気づきの点など、なんでもお寄せ下さい。

■8)『編集後記』

■1)巻頭言:『ベンガルの大地を描くこと3 ― カイユム・チョウドリー』
 福岡アジア美術館 学芸員
 五十嵐 理奈

バングラデシュの国づくりと併走してきた美術の黎明期、新生バングラデシュのアイデンティティにおいてベンガルの大地や農村文化の重要性を説き描いた、近代美術作家を紹介する3回シリーズの最終回。

パッチワークのようにふぞろいの小さな四角が連なって広がっています。上の方は夕焼けのような赤い光が、その下には緑が横に伸びています。中央の黒っぽい部分をよく見ると、瓦礫に埋まるかのように曲がった腕や手指、くぼんだ目の人の顔のように見える姿が描かれています。本作は、《バングラデシュ’71》という明確なタイトルなのに、なぜ、何が描いてあるのか一見では分かりにくい、境界線がぼんやりとした幾何学的模様で描かれたのでしょうか。

 

カイユム・チョウドリー(Qayyum Chowdhury、1932-2014)は、1948年創設のダッカ美術学校の初期卒業生で、バングラデシュ近代美術を担ったひとりです。絵画制作と並行して、本のデザイン・装丁や広告の分野でも活躍し、美術と商業目的の制作物とが明確に区分されていた時代にあって、新しい美術のあり方を模索した美術作家です。

バングラデシュ東部のフェニに生まれたカイユムは、公務員であった父親の仕事のため、幼い頃からバングラデシュ各地の農村を転々としました。とくにチットラ川が美しいノライルですごした数年は、みずみずしい緑の自然や川と共に人が生きる姿を胸に刻むことになり、ベンガル農村での経験が人生をとおして、作品にもデザインにも大きな影響を与えました。

恥ずかしがり屋で内向的なカイユムは、読書家で音楽好きの父親の影響をうけて育ちました。1949年、絵を描くことが大好きだった少年は、印パ分離独立の翌年に創設されたダッカ美術学校の2期生として入学、初めて田舎から都会ダッカへ出ました。新設のダッカ美術学校では、カルカッタから移住してきた創設者のザイヌル・アベディンら先生だけではなく、初期の学生たちも一緒になって、新しい国で新しい美術を、美術学校を作ろうとしており、期待に満ちた模索の時代でした。美術学校の学生たちは、1950年代からのベンガル語公用語化運動では、デモ行進に使うバナーや風刺画を描くなどして、自身の作品制作とは別に絵を描く能力を活かして、政治・社会活動に関わりました。運動には、美術作家だけではなく、詩人、作家など様々な文化人が関わり、そうした中でカイユムも出版関係者と親しくなっていきました。

1954年にダッカ美術学校を卒業した後は、さまざまな広告デザイン、本の装丁や挿絵の仕事を手がけるようになります。父親の影響での本好きが功を奏し、本の内容を的確に掴み取って装丁に反映させることに能力を発揮していったのです。ちょうど50年代の初め、ダッカ界隈の出版業界は、出版物の質も向上し活気づいていました。カルカッタで出版された本がダッカでも手に入るようになり、カイユムはとくにSignet出版(1943年創立)のさまざまな本に衝撃を受け、目を開かれたと言います。当時Signet出版物の多くは、のちに映画監督として名を馳せる若きサタジット・レイが手がけ、タイトル周りのデザインのみならず、ページのレイアウト、文字のタイポグラフィー、装丁、綴じ方などの全てを行っていました。本の制作において美術が重要な役割を果たしていることを知ったカイユムは、さらに出版業界に魅了されていきました。その後手がけた、映画雑誌では装丁だけではなく編集も担い、1960年には新聞Observerのデザイナーとして働き始めました。

並行して行っていた絵画作品にも、こうしたデザイナーとしての経験が反映されていきました。50年代までは、西洋美術の様式にもとづく写実的な水彩画や、キュビスム風の油彩画を描いていましたが、60年代になるとベンガルの村を舞台に、舟、魚や川、草花、民俗芸術や工芸品などをモチーフにした抽象画へと変わり、平面的で、明瞭な輪郭線による形や色のリズムを感じさせる画面構成にはデザイナーとしてのセンスが光りました。そして、独立戦争を境に、70年代、カイユムの作品は大きく変化します。装飾的な紋様による抽象画から一転し、独立戦争をテーマとして、それまで描かれることのなかったやや具象的な人や顔が描かれるようになります。

 

《バングラデシュ’71》は、そうした時期に描かれた、独立戦争による犠牲をテーマとした10枚組のシリーズ作品のひとつです。画面に広がる幾何学的な模様には、見れば見るほどに、人の頭や手脚のように見える部分が現れてきて、まるであちこちに隠れているかのようです。ぼんやりとした輪郭が溶けて、ベンガルの大地と一体化し、大地自体がもがれた手脚のように、痛みに耐えてもがく畑や河の姿に見えてくるようです。独立戦争の時、農村で起きたことを、あえて具象的に克明に描き出さないことで、探し物をするかのように、絵をじっくりと見ることを促しているのかもしれません。ベンガルの大地に広がるどの畑にもどの川にも戦争で死んでいった人たちの姿が、今も大地に眠っていることを伝えます。

 

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