日本バングラデシュ協会 メール・マガジン119号(2023年9月号)巻頭言:『画家カジ・ギャスディンさんについて』 会長 渡邊正人
日本バングラデシュ協会の皆様へ
■目次
■1)巻頭言:『画家カジ・ギャスディンさんについて』
会長 渡邊正人
■2)シリーズJICA 第一回:バングラデシュとJICA
~50年の道のりと今後の展望~
JICAバングラデシュ事務所 所長
市口 知英
■3)追悼寄稿:『バングラデシュの民主化運動をリードする若者たちと河野一平さん』
『遡河』元編集代表、東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所教授
外川昌彦
■4)会員寄稿:『ムジブル・ラーマンの公賓訪日(その2)』
-ムジブルの訪日希望から日程調整まで-
会員 太田清和
■5)途上国から世界に通用するブランドをつくるとは
東京外国語大学ベンガル語専攻2021年卒
株式会社マザーハウス 新規事業/PRチーム
根形 奈々
■6)『講演会・イベント』
■7)『事務連絡』
■8)『読者のひろば』
・メルマガ8月号の各寄稿への読者の感想をご紹介します。
・メルマガ寄稿への感想ほか、お気づきの点など、なんでもお寄せ下さい。
■9)編集後記
■1)巻頭言:『画家カジ・ギャスディンさんについて』
会長 渡邊正人
日本に在住しバングラデシュとの間を行き来するなど国をまたいで活動を続けるバングラデシュ出身の画家カジ・ギャスディンさんに焦点を当てたいと思います。本稿では、カジさんからの聞き取りをもとに、日本留学時代及びその前後の時代に焦点を当てます。カジさんは、2018年春の叙勲で旭日双光章を受章しております。
【はじめに】
私がダッカに到着したのは2015年です。間もなくして、自国の美術、芸術を大切にするバングラデシュのお国柄の一端を印象深く感じる機会がありました。ある日、バングラデシュ中央銀行を訪問した折、応接室、会議室、廊下の壁一面に、立派な絵画が飾られていることに驚きました。当時の中央銀行の総裁が美術に愛着をもっていたこともあるのですが、ひとつひとつの作品について、この絵画はバングラデシュ美術史において指折りの画家の作品であるとか、こちらは、最近、注目されている画家の作品である等々、親切に説明してくれました。国家の金融政策の要である中央銀行への訪問という機会でしたが、バングラデシュ美術に関する有意義なレクチャーにも感銘を受けました。同時に、バングラデシュと交わる上で、この国の美術、芸術に関心を深めていく必要があることを感じました。
【カジ・ギャスディンさんとの出会い】
暫くして、カジさんと初めてお目にかかりました。カジさんとは、日本語での会話も交えつつ直ぐに親しくなりました。当時、ダッカに駐在していたイタリア人外交官に美術愛好家がおり、このイタリア人はカジさんの作品の魅力に取りつかれた一人でした。彼の家に招かれカジさんと一緒に懇談する機会もありました。ダッカ郊外にあるカジさんのアトリエにもお邪魔しました。現地で勤務を続ける中、首相府、外務省、経済界の要人の中にもカジさんの友人やカジさんの作品に惹かれている人々がいることを知りました。
私は、2017年にバングラデシュを離れ他の任地に異動となりましたが、2020年に日本に戻りました。しばらくして、約3年振りに東京でカジさんと再会しました。それ以降、時々、当時の仲間たちと一緒に旧交を温めております。最近、カジさんに、日本留学時代やその前後のことを語ってもらいました。以下、カジさんのご了承を得てその一部をご披露します。
【バングラデシュでの美術教育と独立戦争のころ】
1951年生まれのカジさんは、1970年にダッカ美術工芸大学(現在のダッカ大学美術学部)を卒業しました。1972年にはチッタゴン大学美術学部から修士号を取得しております。
1971年3月から12月まで、バングラデシュはパキスタンからの独立戦争を闘います。カジさんは、フリーダムファイターとして、他の学生たちと一緒に様々な活動を展開しますが、インドの西ベンガル州に設置された東パキスタン人難民キャンプにおいて支援活動に従事したこともあるそうです。当時、米国のニクソン政権(共和党)は、西パキスタン寄りの立場から東パキスタンの独立に対し冷淡な対応をとり続けました。そんな中、ニクソン政権の姿勢を急先鋒で批判し、上院の難民に関する分科会の議長を務めていた民主党のエドワード・ケネディ上院議員(1932‐2009)が、1971年8月にインドを訪問し、西ベンガル州の難民キャンプを訪れております。偶然にも、この訪問の時、カジさんは難民キャンプでの支援活動に携わっていたとのことです。
昨年10月末から11月初頭にかけて、ダッカ訪問中の同上院議員の子息及び家族に対し、ハシナ首相は、故エドワード・ケネディ上院議員への‘Friends of Liberation War’ の栄誉を授与しました。その同上院議員の子息及び家族が、ダッカ滞在中にアメリカ大使館の案内により、同時期にダッカのベンガル・ギャラリーにおいて開催されていたカジさんの個展に来てくれたそうです。カジさんにとっては感慨深い出会いとなったようです。
【モハンマド・キブリア画伯との出会い】
カジさんの日本留学を語る上で、モハンマド・キブリア画伯(1929年‐2011年)とのご縁に触れないわけにはいきません。キブリア画伯は、1959年から62年までの間、パキスタン時代における日本政府国費留学生として東京芸術大学に研究生として滞在中、禅の心にも通じる抽象画の表現方法を習得したといわれております。キブリア画伯は、その頃はカジさんが学ぶダッカ美術工芸大学において教鞭をとっておりましたが、その後も、画家としての活動を展開しつつ、1997年までダッカ大学において教鞭をとり続けます。
当時、キブリア画伯は、カジさんが住む学生会館の中に居を構えていたようで、カジさんはこの大先輩から、日本留学の頃のことや、日本の画家の話、日本の風習や習慣についても教えてもらう機会があったそうです。その頃の指導や助言は、カジさんのその後の画家としての人生に大きな影響を及ぼしたようです。
【日本留学へ】
カジさんは、日本政府の国費留学生として1975年10月に来日後、短期間の大阪外国語大学及び3年間の東京学芸大学における日本語等の勉学を経た後、1978年から東京芸術大学の大学院において研鑽を積むことになります。同年、大学院における油絵専攻の博士課程にはカジさんと日本人2名の計3名が入学を認められました。
カジさんの指導教授は野見山暁治東京芸術大学教授(1920‐2023)でした。野見山教授は今年102歳の大往生を遂げられた日本の洋画界の泰斗です。カジさんは、毎週のように野見山教授から指導を受ける機会があり、その頃の野見山先生からの数々の助言や励ましの言葉がその後のカジさんの画風やスタイルの形成に影響を及ぼしているようです。カジさんは東京芸術大学を卒業した後も、野見山先生を慕い、先生とのご縁を大切にしてきたそうです。
カジさんは博士課程の大学院生でしたので、学術論文「ベンガルの精神」の作成に取り組みました。論文の原稿は英語で作成し、それを日本語に訳してもらう必要があり時間を費やしたようですが、1985年には東京芸術大学より学術博士号を取得しました。カジさんは、東京芸術大学美術学部の博士課程としては日本人も含めてはじめての学術博士号取得者のひとりとなったそうです。
東京芸術大学大学院卒業後は、日本を拠点とした画家としての活動が始まりますが、その後のカジさんの活動については、次の機会にご紹介したいと思います。
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