日本バングラデシュ協会 メール・マガジン129号(2024年7月号) 巻頭言:『田の草取りで見えた日本とバングラデシュの小農の社会と営みの原点』 京都大学東南アジア地域研究研究所 安藤和雄
■目次
■1)巻頭言:『田の草取りで見えた日本とバングラデシュの小農の社会と営みの原点』
京都大学東南アジア地域研究研究所 安藤和雄
■2)シリーズ JICA 第 4 回:『バングラデシュと JICA~きたれ!縫製業に続く次の成長産業(後編)~』
JICA バングラデシュ事務所
所員 岡本宇弘
■3)寄稿:『日本とバングラデシュを繋ぐ夢のハッカソンコンテスト「CODE SAMURAI」』
株式会社 BJIT 辻出 悠斗
■4)会員寄稿:『ベンガル語のふたりの先達 ② 奈良毅教授(前)』
元理事 渡辺一弘
■5)『イベント情報』
■6)『事務連絡』
■7)『読者のひろば』
・メルマガ 6 月号の各寄稿への読者の感想をご紹介します。
■8)『編集後記』
■1)巻頭言:『田の草取りで見えた日本とバングラデシュの小農の社会と営みの原点』
京都大学東南アジア地域研究研究所 安藤和雄
日本の田の草取り
農協で育苗された苗を、5月24、25日に田に植えた。歩行型二条植え田植え機を使っている。一坪60株植えで、株間21㎝、条間30㎝である。二条おきに条間を35㎝くらいになるように今年は工夫し、風が通り、日光がイネの株元によく届くようにした。田植えから5日、一株2~3本植えされた苗が活着し、立ってくる。稚苗の立ち姿を見ると一安心できる。日本の稲作では「苗半作」と言われてきたが、活着の良し悪しは、その後の雑草防除作業と密接に関係してくる。活着が順調であれば、すぐに田打ち車(中耕除草機)を条間にかける。田打ち車の爪で条間の土をひっくり返しても苗は浮かない。株間は、条間のように一直線とならない。田打ち車をかけることができず、株間の除草に手間がかかり過ぎるため、除草作業がイネと雑草の生育に追いつかなくなってしまう。だから株間のコナギは残し、イネの力に頼る。7月11日、一筆を残し、すべての筆で5回目の田打ち車かけを終了し、田を一度干して酸素を供給し根張りをよくする中干に入った。
日本の稲作では、夏の田の草取りは、昔から重労働の代名詞で、女性の仕事だった。田打ち車は女性、男性を問わない。田打ち車の普及で腰をかがめての女性の草取り作業は幾分軽減されたが、株間の草は手取りが基本である。
「上農は草を見ずして草をとり、中農は草を見て草をとり、下農は草を見て草をとらず」という諺が農業関係者に伝わっている。もともとは17世紀の中国の農書で使われたものが日本に伝わった(三浦2015)。私の母(95歳)の世代の農民は、勤労主義で、模範的な農民の証であるかのように田畑に草が生えていることを嫌う。日本の稲作にとって、除草剤の登場は救世主で、あっという間に広がり、田打ち車を納屋に閉じ込めた。除草剤をうまく使えれば、草一本生えない田となる。しかし、そんな田を見ると命の営みが弱くなっているようで、私の心はどこか落ち着かない。
バングラデシュ氾濫原での田の草取り
バングラデシュの稲作では、苗半作も草取りに関する諺も聞いたことがなく、田の草取りは強く意識されてはいない。雨の降り方とイネの生育や収穫作業に関する諺はよく聞いた。農業の諺集でもあるコナール・ボチョンでも草取りに関する諺は出ていない。伝統的なバングラデシュの氾濫原農業の稲作では雨季、河川の本流、支流からの氾濫水が田に溜まり始める前に、アウス稲やアマン稲(深水稲)を直播する。雑草防除は、私が通っているタンガイル県のD村では櫛のような道具のまぐわ(ビンダ、ナングラとよばれる)を二頭の牛にひかせて畑状態でおこなわれてきた。ずいぶんと荒っぽい方法であるが、播種されるイネの種子を厚播きしておいて、播種後、畑状態で雑草の発生が多ければまぐわをかけイネとともに草をひっかきとる。その後、まぐわでとることができないヘンチーとう名のキク科の草(Enydra fluctuans)をメインに、カムラ(日雇い農夫)を雇って手取り除草する。田の草取りは男性の作業であった。乾季に水が溜まっている沼や川床の周辺で在来種のボロ稲が田植えされてきたが、もともと雨季に数メートルも湛水する田では雑草が少ない。氾濫原の田の雑草が問題となるのは、1970年代以降「緑の革命」の導入による乾季の灌漑高収量品種の作付けが一般的となってからである。伝統的な在来種のアウス稲、アマン稲、ボロ稲が水平型の草型(葉が水平に開いている)で、遮光して株元の雑草の発生を抑制するのに対し、高収量品種は受光効率をよくし光合成を活発にするために垂直型で光が一枚一枚の葉に当たりやすくなっている。株元にも日光が届きやすく、雑草の発生を促している。
乾季の高収量品種稲作での女性の田の草取りの始まり
私の友人でD村にも自宅のあるAさんの話では、モスリムのD村でも、この3~4年ほど前から、既婚女性が乾季の高収量品種の田植えや手取りの田の草取りに、数名ではあるが、面積契約(チュクティ)や日雇い(カムラ)として参加するようになった。Aさんの知る限りD村では今も除草剤は使われていない。田打ち車やタンガイル県で工夫された「八反取り」(D村ではチャッカサラ・ウイダー、車のついていない除草機と呼ぶ)が男性によって乾季の高収量品種の除草には使われている。田の草取りをする女性たちは、以前は葉巻タバコ詰め(ビリ作り)の内職をしていたのだが、仕事がなくなったから「新しい仕事」に就いたのだという。1980年代後半には乾季の高収量品種の苗取や、菜種の収穫、アウス稲やアマン稲の牛の踏みつけによる脱穀や移植稲のドラム缶などに打ちつけての脱穀には男性とともに家族労働力として女性も参加していた。とくに、作業する場所が屋敷地に近い場合はその傾向が強かった。D村では屋敷から離れた田畑(チョックのケットと呼ぶ)での作業である草取りや田植え、耕起、播種などは男性の仕事であった。そこで女性が農作業をすればポルダを守っていないと村では批判されたものだった。ヒンズーや少数民族の村では女性が田の草取りに参加してきた。D村では、屋敷地の周辺くらいまではポルダ(注)の中だと見なされているのだった。1990年代に村で調査していた頃、女性をともなって夜に、屋敷地から遠く離れた菜種の収穫作業が行われていたところに遭遇したこともある。今では、屋敷地から離れた田畑での小麦、菜種、豆の収穫にも女性が参加するようになったという。D村でみるようにバングラデシュのモスリムの村の低所得階層の女性たちがまた一つ宗教的習慣(と見なされてきた)をさらりと乗り越えた。乾季の高収量品種での田の草取りや田植え作業への女性の参加は大きな社会的意味がある。しかし、私は、バングラデシュ農村の在地に育ってきた文化習慣で男女の仕事をことさら区別してはいなかったと考えている。それは、東パキスタン、バングラデシュのモスリムの村々でイスラーム色が一時的に強くなっただけの「近年の現象」ではなかったのか。バングラデシュの女性は、むしろ、日本や東南アジアの稲作の村々の女性たちに近い労働観をもっているのではなかろうか。バングラデシュのモスリム農村は東南アジアのモスリム農村、とくにインドネシアとの比較において捉え直す必要性を、生前の原忠彦先生が話されていたことを思い出す。まだ私が成しえていない研究である。
「下農」の除草作業
バングラデシュでの田の草取りは、草の特徴をしっかりと捉えて選択的に行われている。まぐわではよく取れないヘンチーは、深水でもなかなか生育を止めることは難しいと農民は知っている。他の雑草はアマン稲(深水稲)のように氾濫水の増加に耐えて生育することができないのだという。深水稲のもっている雑草との競争力を信じたような田の草取りである。日本の農民には根こそぎとって田に雑草を残さないことが勤労精神の象徴として求められてきた。条間の雑草は田打ち車によって土に埋め込むが、株間の雑草は残していて、私はバングラデシュの下農を地でいっている。コナギの力を借りているのだ。私の株間に残されたコナギがヒエの発生を抑制していると推測している。コナギはヒエよりも一足はやく発芽して生育する。しかし、イネのように草丈が高くはならない。株間のコナギはやがてはイネの成長で光が遮られ生育が鈍化し、枯れていく。私の田打ち車の除草作業は条間の風通しと光の透過でイネのコナギへの競争力を引き出し、コナギのヒエへの抑制力を利用している。イネとコナギの協働でイネの成長を凌駕し草丈も高くなるヒエを抑える方法である。除草剤を使わなければ、雑草の個々の性質を理解し、工夫された除草体系を作ることもできる。バングラデシュのモスリム農村で、女性の農作業が制限されていたように、日本の「上農、中農、下農の草取り」は、勤労主義を農民におしつけ、農民から雑草の特徴を観察する目と工夫する力、そして楽しみを奪ってしまった。根こそぎ全部の雑草をとる必要はどこにもない。
考えてみれば、勤労主義も、男女の労働の区別もバングラデシュや日本の本来の小農の農民社会には似合わない。自然の力をうまく引き出し、自然と協働し、男女が協力しあってきたからこそ、無理のない農のある暮らしが営まれてきた。その原点に戻り、現代にマッチした新しい農業体系、農村社会をつくっていくことが、バングラデシュにも、日本にも求められている。田打ち車を押すという単調でリズミカルな作業が芽生えさせてくれた考えである。
引用文献)三浦励一 2015 「上農は草を見ずして草をとる」ということわざの解釈の変遷『雑草研究』Vol.60(2):54-57
注)ポルダ…パルダとも。もともとカーテンを意味し、女性をむやみに他者の目に触れさせないようにする制度もしくは風習。
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