日本バングラデシュ協会 メール・マガジン 86 号(2021年 6 月号)

日本バングラデシュ協会 メール・マガジン 86 号(2021年6月号)

日本バングラデシュ協会の皆様へ

■目次

■1)巻頭言:『バングラデシュ独立と美術作家たち(2)-カムルル・ハサン』

   福岡アジア美術館学芸員
会員 五十嵐理奈

■2)会員寄稿:『バングラデシュにおけるHonda二輪事業のご紹介』

Bangladesh Honda Private Limited
前社長 勝木日海彦

■3)会員寄稿:『黄金の輝きに魅せられて~バングラデシュとの出会いと活動~』

エクマットラ ハンディクラフト 代表
会員 渡辺麻恵

■4)会員寄稿:『原忠彦教授の民族誌と現代バングラデシュ社会に見る“政治経済領域と社会文化領域の乖離”』

名古屋大学特任助教授
会員 杉江あい

■5)理事連載:『バングラデシュの独立に寄りそう(1971年6月):

援助国のパキスタンへの対応と印の難民問題の国際化キャンペーン』

       -バングラデシュ独立・国交50周年記念シリーズNo.12-

理事 太田清和

■6)イベント、講演会の案内

■7)『事務連絡』


 

■1)巻頭言:『バングラデシュ独立と美術作家たち(2)——カムルル・ハサン』

福岡アジア美術館学芸員
会員 五十嵐理奈

 バングラデシュ独立運動に関わった4人の美術作家を、独立の発端となった言語運動、独立戦争時、戦後にわけてコラムで紹介する。

(図1)カムルル・ハサン《この悪魔たちを殲滅せよ》1971年(バングラデシュ独立戦争博物館で販売の再印刷複製ポスター[英語版]。)

《この悪魔たちを殲滅せよ》。パキスタン政府のヤヒヤー・ハーン大統領を悪魔に見立てたポスター(図1)は、パキスタンの横暴を伝えるイメージとして、独立戦争をとおしてバングラデシュの人々に広く知られた。1971 年 3 月 25 日深夜、ヤヒヤー・ハーン大統領の指揮のもとパキスタン軍が東パキスタンを攻撃し、独立戦争が始まった。4 月、東パキスタンはバングラデシュとしての独立に向けた臨時政府を発足させ、その情報放送省がプロパガンダ・キャンペーンとして少なくとも 10 万枚を刷って東パキスタン全土に配布したのがこのポスターである。肉づきのよい頬に太い眉のヤヒヤー・ハーンの特徴をとらえつつ、見開いた目に舌を出して耳を尖らせた悪魔らしい残忍性が加えられたデザインは、当時情報放送省の美術デザイン局長であった美術作家のカムルル・ハサンが手がけたものである。

カムルル・ハサン(Quamrul Hassan, 1921-88)は、ベンガル民俗芸術に根ざした素朴でデザイン性に富む作風を築き、バングラデシュ近代美術のひとつの流れを生んだ美術作家である。西ベンガルのカルカッタに生まれ、1930 年代のカルカッタ官立美術学校在学中にブロトチャリ運動(宗教やカーストを超えて全インドの人々の自尊心や国民意識を高め
るための運動)に参加して植民地主義に抵抗し、また共産主義の理想に共鳴して英領下で抑圧されたインドの労働者の窮状を版画やポスターにして告発するなど、学生時代から政治活動に関わった。1947 年のインド・パキスタン分離独立の後は、東ベンガル(東パキスタン)のダッカに移住してダッカ美術学校や演劇・文芸団体を設立するなど、ベンガル文化の振興に奔走した。60 年代末の東パキスタン自治権要求運動では、彼の自宅は美術作家や演劇人、ジャーナリストなど異業種の文化人が集まる場となり、夜を徹して反政府ポスターを描いて、夜明けとともに街頭に貼って回ったという。

(図2)カムルル・ハサンによるパフォーマンス《芸術家の抵抗》(1987年)の記録写真を用いたポスター(デザイン:カリダス・カルマカール、制作:Creative Studio、1991年)

そして、1971 年の独立戦争開始前夜の 3 月 23 日。カムルル・ハサンは、政治集会の拠点となっていたダッカのショヒド・ミナル(ベンガル語公用語化運動殉難者の碑)に、《この悪魔たちを殲滅せよ》ほか、10 枚ほどの手描きポスターを掲示して、西パキスタンの非道を訴えた。4 月には独立戦争を外から支援するためにカルカッタへ移り、臨時政府の情報放送省の美術局長に就任し、教え子ら若手美術作家をデザイン部に集めていくつものポスターを手がけた。《この悪魔たちを殲滅せよ》の最終ポスター・デザインは、まず臨時政府らが発行する新聞『週刊ジョイ・バングラ』の 5 月号に掲載され、その後、さらに独立戦争をとおして西パキスタンとの戦いが続く東パキスタン全土にポスターとして配布され広まったのである。
ベンガルへの敬意から、自らを美術作家ではなく職人としての絵師(ポトゥア)と称して、郷土愛にあふれた絵画を描く一方、一貫して宗教主義や独裁主義を嫌い、独立後も 80 年代のバングラデシュの軍事政権を鋭く批判する先駆的なパフォーマンス(図2)や風刺画を発表するなど、美術をとおして社会の変革や運動に実践的に関わった活動家でもあった。

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