日本バングラデシュ協会 メール・マガジン117号(2023年7月号)巻頭言:『ボルシャカール(雨季)の雨の教えを想う』 京都大学東南アジア研究所連携教授 会員 安藤和雄

日本バングラデシュ協会の皆様へ

■目次

■1)巻頭言:『ボルシャカール(雨季)の雨の教えを想う』
                   京都大学東南アジア研究所連携教授
                   会員 安藤和雄

■2)追悼寄稿:『優しく闘い続けた 河野一平君のこと(前編)』
 ―デザイナー 故河野一平 追悼(その3)-
                   グラフィックックデザイナー designFF
                   シャプラニール=市民による海外協力の会前代表
                   福澤郁文

■3)会員寄稿:『バングラデシュの人的資本発達史(その4)』
                   広島大学教授
                   教育開発国際協力研究センター
                   会員 日下部達哉

■4)理事寄稿:『「ラナプラザの悲劇」に想いを馳せる』
                   YKK(株)総務部総務グループ長
                   理事 室田 幸宏

■5)講演会・イベント

■6)事務連絡

■7)『読者のひろば』
・メルマガ6月号の各寄稿への読者の感想をご紹介します。
・メルマガ寄稿への感想ほか、お気づきの点など、なんでもお寄せ下さい。

■8)編集後記

 
■1)巻頭言:『ボルシャカール(雨季)の雨の教えを想う』
                   京都大学東南アジア研究所連携教授
                   会員 安藤和雄
ボルシャカール(雨季)が来た

しとしとと降り続く雨音。私が住んだバングラデシュの氾濫原に立地する村ではトタン屋根の家が多い。トタンをたたく雨音は騒音をかき消してくれる。雨が降れば、村人は、ゴムサンダルを脱いで、素足で、親指を使い雨で滑りや すくなった未舗装の道路の土を掴むように歩く。私が通いなれたバングラデシュの氾濫原に立地する村の1980年代の風景である。日本の梅雨の季節は、バングラデシュ暦のアシャール月(6月中旬から7月中旬)に相当する。7月中旬から8月中旬にかけてのスラボン月の2ケ月はボルシャカール(Rainy Season、雨季)である。氾濫原に立地するタンガイル県のドッキンチャムリア村では、雨が降り、川に新しい水(ジョール)が来て、水路(カール)を伝わって村の耕地に溢れ始めた時に、ボルシャ・アシュチェ(ボルシャが来た)という。


写真1アウスの収穫、ドッキンチャムリア村1987年7月31日

ボルシャカールの雨は、数日間降り続くことも珍しくなく、洗濯物は部屋干し、家じゅうがカビ臭くなる。そして、カタと呼ばれる布を何枚も重ね縫いした村で使われていた「布団」はしっとりと湿っぽく重い。氾濫原は一面が大きな川となる。村の屋敷地は1980年代当時川に浮かぶ島の如しであった。「流れる川」となるためか、蚊もそれほどは気にならなくなる。

雨季には、私は、部屋の中ではルンギー(腰巻)1枚で過ごすことが多かった。それは、長期派遣専門家時代のダッカの家でも、村のホームステイ先でも同じであった。下着もつけない。この湿っぽさが心地よい。しとしと雨の日は気温もそれほど上がらず、最高気温も30℃にとどかないことも珍しくなかった。日本に帰国してからも梅雨どきから夏にはルンギー一枚の癖が抜けない。この原稿もルンギー一枚で、パソコンに向かって書いている。天井にとりつけられた大型の3枚羽の扇風機が恋しくなる。しとしと雨の日は、村人たちも必要な農作業や買い物以外はなるべく外出を控える。自然、世の中が静かになる。まさに、バングラデシュの村全体が、雨安居(註)のような生活に入るのだった。だから私はしとしと雨の日を決して嫌いではない。

(註)仏教の出家修行者たちが雨期に1か所に滞在し、外出を禁じて集団の修行生活を送ること。サンスクリット語バルシャーバーサvār āvāsaの訳。雨(う)安居、夏(げ)安居ともいう。

しかし、僧ではないバングラデシュの農民にとっては、しとしと雨でも必要な農作業はしなければならない。それは日本の農民にとっても同じである。氾濫原に立地するバングラデシュの村では、乾季の高収量ボロ稲作の導入前には、ジュートが、稲作では、アウス稲と深水アマン稲が雨季の始まる3月下旬から4月にかけて畑状態の田にそれぞれ単播、混播されていた。ボルシャカールに入ると田の湛水は日に日に増水し、稲もジュートも一日一日と草丈を伸ばしてくる。村の屋敷地の周辺一面が緑のジュータンを敷きつめたようになる。そして、深水アマン稲は洪水がひいた11月から12月に収穫される。ルンギーは作業ズボンにも変身する。カチャ・デワといって、ルンギーを又の間からとおして巻き上げ、背中の腰のところでくいこませしっかりと固定する。作業用の「短い半ズボン」にして、7月末には、アウスの刈り取りを腰まで、時には、胸まで水にはいって行う(写真1)。8月にはジュートの皮をむいて繊維をとる作業が最盛期をむかえる。水につかる作業は男性の仕事(写真2)である。女性はこの作業を「陸(おか)」で行い、水で洗う。

 

 

雨の日の田打ち車による除草作業

日本では、除草剤を使っていない私のような農家は、雨降りの日と重なる田植え後の1ケ月半となる6月から7月上旬は、時間さえあれば、田打ち車(回転式中耕除草機)を、水田で押す。土砂降りでないかぎり決行する。妻や母は、こんな雨の中をやらなくてもいいじゃないか、と言うが、コナギ、ヒエなどの水田雑草は、雨だからといって成長を止めてはてくれない。雨合羽をきても体が雨で冷えることを心配してくれているのである。しかし、晴れた日よりは暑くないので私はそれほどこの時期の雨の中での作業は苦にならない。目標は、一週間に一度、5回以上田打ち車をかけて、条間の除草を行う。株間は取らない。株間のコナギはヒエ、タウコギの発生を抑制し、イネの草丈を超えることはないコナギはイネとの共生が実現していると言えるだろう。ただし、雨に濡れて作業をしていいのは、8月一杯までだと私は決めている。このことを、バングラデシュの氾濫原に立地するアウス稲と深水アマン稲の混播栽培がおこなわれていたノアカリ県のシラディー村の農民から学んだ。[編集部:詳しくはメルマガ76号(2020年12月号)ご参照)]

 

寒さが生まれる

1984年10月に妻と2歳になった長女をつれてバングラデシュ農業大学大学院栽培学科博士課程に留学した。研究テーマは、アウス稲と深水アマン稲との混播栽培に関する研究であった。このベンガルデルタ独特の洪水環境に適応した栽培方法は、2023年の現在では、多くの地域から姿を消している。乾季に高収量品種ボロ稲が栽培され、雨季の稲作をやめたところも珍しくない。タンガイル県のドッキンチャムリア村のように、高収量品種ボロ稲が収穫された直後の5月末頃に、深水アマン稲の苗が移植されている。混播されるアウス稲は栽培されなくなったのだ。


写真2ジュートの繊維とり
ドッキンチャムリア村1987年8月16日

1985年の雨季、私は、シラディー村でアウス稲の収穫時期にアウス稲と深水アモン稲の栽植密度(1平方メートルあたりのそれぞれの株数)を水に潜って調べ、アウス稲と深水アモン稲のサンプル株をとって、草丈、稈長、穂長、等々を測定していた。ずぶ濡れになっての調査である。それを見ていた農民が次の諺(プロバード)を教えてくれた。

 

バッドレール バロ シーテル ジョルモ

バッドロ月の12日(8月30日頃です)、寒さが生まれる

 

バングラデシュの村々では、農業技術や農業気象に関する「コナール・ボチョン(コナの格言)」が知られているが、この諺は、コナの格言ではない。ドッキンチャムリア村でも、諺としては伝わっていないが、このような教えがあるという。シラディー村やドッキンチャムリア村の農民たちは、9月以降に雨に濡れることを戒めているのである。それまでとはうってかわって体が冷えて風邪をひくという。バングラデシュの農民たちは、気温の日変化や季節的な変化に敏感で、それに合わせて生活をおくっている。近年では地球温暖化のこともあり9月に入っても残暑が厳しいが、それでも、9月に入れば、季節は確実に秋から冬に向かっていることを朝夕の気温の低下で感じることができる。そして、冬の寒さの底に向かう。

 

マゲール シーツテ バーグ ドオライ

マグ月の寒さはトラをも震え上がらせる(寒さから逃げさせる)

 

この諺は、ドッキンチャムリア村で村人から教わった。マグ月(1月中旬から2月中旬)の最低温度は、ドッキンチャムリア村では時に10度近くとなる。その寒さが8月末には始まっている。なんとも詩的な情感の豊かさだろうか。

 

自然に合わせた生活リズム

バングラデシュの村人は頭を冷やすと病気(風邪)になると信じているので、上半身は裸ということも珍しくないが、頭を濡らさないように、雨降りには、菅笠(マタイル)や、ビニール袋を頭にすっぽりとかぶって雨の中で作業をする(写真1)。この菅笠は、雨の降らない暑い季節には日よけとして使われる。

日常生活では、村では池で沐浴をしたり、手押しポンプでバケツに水ためてそれを手酌ですくってかぶって行水をしたりしていた。午後は沐浴や行水をするなとよく村人から注意された。午後は気温が下がっていくので、体があたたまらないからだとう。理にかなった沐浴の方法だ。冬の池での沐浴や外でのポンプの行水をする時には、とくにこの教えを実感する。そして、日本でも私はシャワーや入浴は朝派である。

食事の前の手洗いと、食事後の手洗いと口ゆすぎ、朝起きたらすぐに、10分くらいかけて歯を磨く。これらの日常的習慣はバングラデシュのモスリムの村人から学んだことである。ドッキンチャムリアのモスリムの村人は、朝一番の礼拝のためにも、朝起きたらすぐうがいをして顔を洗う。礼拝の後は、成人男性は、ニームの木の枝の先を歯で噛み砕いてブラシ状にした「歯ブラシ」で、談笑しながら、30分、時には、一時間も歯磨きをしていた。女性は、土でできた竈の内側にできた焼き土(ポラマティ)を人差し指もしくは中指につけて指で磨いていた。女性の朝は庭掃き、朝食つくり、子供の世話等々で忙しいこともあり、朝の歯磨きは3~10分で終わる。

 

人間の捉え方以外にも健康維持の方法についてもバングラデシュの村人から私は多くを学ぶことができた。いつも驚かされるのは、その根底にあるのが、ベンガルデルタの自然環境に逆らわずに生きる村人たちの姿勢であった。雨の中、田打ち車を押しながらそんなことが頭をよぎったのである。それを今回は書き留めた。

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