日本バングラデシュ協会 メール・マガジン122号(2023年12月号)巻頭言:バングラデシュの隣国インド・トリプラ州:第1回 日本バングラデシュ協会監事 村山真弓

■目次
■1)巻頭言:バングラデシュの隣国インド・トリプラ州:第1回
                       ジェトロ・アジア経済研究所理事
                       日本バングラデシュ協会監事
                       村山真弓
■2)会員寄稿:バングラデシュの「2030年問題」を再考する
                       株式会社双日総合研究所
                       官民連携室 副主任研究員
                       古賀 大幹
■3)シリーズ:バングラデシュ料理その2 『チョッチョリとわたし』
   ~チョッチョリの魅力に気付くまで~
   バングラデシュ料理レストラン「トルカリジュッティー」シェフ
                       緒方いずみ

■4)会員寄稿:『ムジブル・ラーマンの公賓訪日(5) ―50年後に残したものー』
                       会員 太田清和

■5)講演会・イベント

■6)事務連絡

■7)『読者のひろば』
・メルマガ11月号の各寄稿への読者の感想をご紹介します。
・メルマガ寄稿への感想ほか、お気づきの点など、なんでもお寄せ下さい。

■8)編集後記

■1)巻頭言:バングラデシュの隣国インド・トリプラ州:第1回
                       ジェトロ・アジア経済研究所理事
                       日本バングラデシュ協会監事
                       村山真弓

【自己紹介】
当協会の監事を務めさせていただいている村山と申します。バングラデシュとの付き合いは、開発途上国・地域の調査研究を行う機関に就職し、担当がバングラデシュになったことに始まります。当時バングラデシュの位置すらも知らない状態でしたが、その年の秋、私費でダッカとチッタゴン(現チョットグラム)ついでにカルカッタ(コルカタ)に行ってみました。以来、バングラデシュとのお付き合いは、時期によって濃淡ありましたが、40年近くになります。

【バングラデシュとインド北東地域】
仕事では、最初はバングラデシュ一国に取り組んでいたのですが、2004年から2005年にかけて、職場の先輩同僚とインドの北東地域やブータンを調査する機会に恵まれました。実際には初めての土地なので、現地の研究機関の助けを借りて報告書を作るというプロジェクトでした。その時はインドのアッサム州、メガラヤ州を訪問したのですが、そこで初めてバングラデシュを、日本以外の外から眺めることになりました。
河川の水配分の問題に代表されるように、大国インドに囲まれているバングラデシュには、インドによって不利な立場に置かれているといった見方があります。ところが、インド北東地域では、「バングラデシュによって囲まれている」という彼らの意識に触れることになりました。北東地域8州それぞれの面積、人口は、バングラデシュに比べて小さく、彼らからすればバングラデシュは「大国」に他なりません。さらに、英領時代以降、人口過密な東ベンガル・東パキスタン・バングラデシュからは、北東地域への人口の流入が続いていました。自分たちの利益が脅かされるという、バングラデシュからの移住者に対する強い懸念は、今でもインドにおける深刻な社会・政治問題の一つとなっています。

【トリプラ州のベンガル人】
本日ご紹介するトリプラ州は、北東地域諸州の中でもバングラデシュとの繋がりが最も深い州と言えます。地図をご覧頂くと一目瞭然ですが、同州は3方向をバングラデシュによって囲まれています。また州都アガルタラは、国境に接して位置するという、珍しい州都です。同州は、長く左派政権下にありましたが、当時の州首相は、インドで最も貧しい州首相としても、また最も親バングラデシュ的な州首相として有名でした。
トリプラ州に住むベンガル人がバングラデシュに寄せる親近感については、極めて強いものがあるようです。私は2010年に初めてトリプラ州を訪問したのですが、当時いろいろと教えてくれた国営通信社のベンガル人ジャーナリストは、彼の家族は元々バングラデシュのブラフモンバリアの出身で、彼自身はアガルタラで生まれ育ちました。彼は、東ベンガル生まれの祖父から、出身地周辺の村々の名前を聞かされて育った結果、ヒンディー語を母語とする人を指して「彼はヒンドゥスタニだが、私はバングラデシだ」と言いました。トリプラのベンガル人が、結婚相手を選ぶ場合には、ノアカリ県、クミッラ県、シレット県、チッタゴン(チョットグラム)県等元々の出身県を同じくすることにこだわるそうです。バングラデシュ独立の歴史において非常に重要な言語運動を記念する2月21日の式典は、トリプラ州でも行われています。国連に対してバングラデシュが同日を母語の日と定める提案した際、トリプラ州もインド中央政府にこれを支持するよう働きかけたそうです。
こうした紐帯が、1971年のバングラデシュ独立戦争の際に、当時のトリプラ州の人口を上回る数の東パキスタン難民を受け入れる素地になりました。独立闘争自体を、トリプラの人々は自分たちの闘争であると認識していたとも聞きました。9ヶ月続いた独立戦争の間、ベンガル人の政治的本部は西ベンガル州にありましたが、軍事的本部はトリプラに置かれていました。2010年に訪れたアガルタラの交差点には、パキスタン軍の残した戦車や高射砲などが飾られていました。

【トリプラ州概観】
2011年の国勢調査によれば、トリプラの面積は10,491 平方キロメートルで、日本の岐阜県程度の大きさで、ゴア、シッキムに次いで3番目に小さい州です。人口は3,673,917人(2021/22年度の推定値は4,128,000人)で、全28州のうち21番目と相対的には少ないのですが、特徴的なのは人口密度が高いことです。北東地域の中ではアッサム州に次いでいます。岐阜県の2023年8月現在の推定人口は1,931,486万人なので、ざっくりした比較では、岐阜県に比べて2倍以上の人々がトリプラ州に住んでいることになります
トリプラ州の名前の由来には諸説あるようですが、わかりやすいのはトリプラという先住民族の名前から来たものという説です。またtui(水)とpra(近く)という語源からは、東ベンガルの広大な水源に近いという意味があったとも言われています。海抜15メートルから940メートルの土地に広がるトリプラ州は、全体の6割以上が森林です。州の公用語は、コクボロク(Kokborok)(トリプラ語)とベンガル語、英語ですが、様々な民族が独自の言語をもつ、多民族社会でもあります。神話の時代から1949年まで、トリプラ民族の王朝が続いていたことも大きな特色です。
バングラデシュとトリプラ州の関係について、次回は歴史をさかのぼってご紹介していきたいと思います。

 

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