日本バングラデシュ協会 メール・マガジン125号(2024年3月号)巻頭言:『アッサラーム・アライクムの挨拶言葉がつくる人と人のつながり』 京大東南アジア地域研究研究所  安藤和雄

■1)巻頭言:『アッサラーム・アライクムの挨拶言葉がつくる人と人のつながり』
                        京大東南アジア地域研究研究所
                        安藤和雄

■2)寄稿:『アイデンティティーの狭間で:西ベンガルのムスリムベンガル人とは』
                        東京外国語大学
                        言語文化学部ベンガル語専攻准教授
                        シェーク・タリク

■3)寄稿:『ありふれたバングラデシュの生活の中で』
                        Kolpona.Ltd代表
                        広島大学大学院博士後期課程
                        田中志歩

■4)会員寄稿:『ベンガル語のふたりの先達 我妻和男教授(前)』
                        元理事 渡辺一弘

■5)『イベント情報』

■6)『事務連絡』

■7)『読者のひろば』
・メルマガ2月号の各寄稿への読者の感想をご紹介します。
・メルマガ寄稿への感想ほか、お気づきの点など、なんでもお寄せ下さい。

■8)『編集後記』

■1)巻頭言:『アッサラーム・アライクムの挨拶言葉がつくる人と人のつながり』
                        京大東南アジア地域研究研究所
                        安藤和雄

タンザニアでの朝のジョギングで

「アッサラーム・アライクーム」と声をかけると「ワ・アライクーム・サラーム」と、はじけるような笑顔の声が返ってきた。
2024年2月24日から3月3日、タンザニア北部の野生動物保護区である国立公園周辺の農村部の街ババティに滞在した。朝や昼、「アッラーフ・アクバール」(アッラーはもっとも偉大なり)とスピーカーからアザーン(礼拝にモスクに来なさいという呼びかけ)が大音量で響いていた。ここはバングラデシュか、と錯覚するほどである。ホテルの前の道で日課の朝のジョギングを暗さの残る午前6時頃からおこなっていた(夜は私は早いときは午後6時前には寝てしまう)。30分もすると明るくなり、制服をきた小中学生が登校しはじめる。スワヒリ語の一般的な挨拶は「ジャンボ」であるが、私は、朝ランで、「アッサラーム・アライクム」を使ってみた。
子供たちだけでなく、大人とも挨拶を交わした。イスラーム化が進んでいるのか、街で、袋につめた野菜を自転車の荷台にとりつけて運ぶ男性や、バングラデシュでも見かけるベイビータクシー(オートリキシャ)に野菜を載せて運ぼうとする女性たちなど、商業活動をする人たちがたまたまモスリムの人たちが多かったからなのかは分からないが、8割以上の道行く人たちと挨拶を交わしたが、ほぼすべてモスリムのようだった。
東アフリカのケニア、タンザニアには沿岸部を中心に数万と言われるインド系の人々が住んでいることが知られている。インド系の人たちのケニア、タンザニアへの移住は、英領期を中心としているが、1~2世紀にはすでにアラブとこの地域との交易の歴史が残されていて、イスラームは7~8世紀には東アフリカに到達している。タンザニアのモスリムは沿岸地域に集中し、内陸部にはキリスト教徒が多い。ババティの街は内陸に位置しているが、街はすっかり「バングラデシュの地方の街」の様子だった。ベイビータクシー、アザーンとともに、バングラデシュを思いおこさせたのは、私たちの入ったレストランでのビリヤニ、ポラオの料理で、肉は、牛、ヤギ、鶏だったこと。サリーとしか思えない布を身に纏って頭にかけている女性も珍しくなく、黒い布を頭からかぶったブルカ、黒いマスク(ニカブ)をしている女性も各1名みかけた。ババティの街の周辺は、放牧地のグラスランドと小高い丘、狭い川、窪地の湖、とその斜面はウッドランドで囲まれている。日本でもなじみの深い、牧畜を生業とするマサイ族の人たちが多く、一部は農耕も行っている。マサイ以外の農耕を主にする民族も少なくない。時間的な余裕もなかったこともあるが、私は農耕民や牧畜民にモスリムであるかを直接聞いていないので、生業との関係は不明であるが、ババティの街から車で走って20分ほどの北にあるマグルの周辺は、天水だと思われる水田が広がり、ゴマ、キマメ、トウモロコシ、ワタの栽培も盛んで、野生動物の乾期、雨期の草地の移動路(コリドー)とも重なっていることから、トウモロコシ畑に入っている移動中のシマウマの数頭の群れも見かけた。やはりここはタンザニアなのである。
写真1 マグルの街のモスク
写真1 マグルの街のモスク

興味深いのは、モスリムの人たちが住む地域がインド系移民の分布に重なっていることである。ただし、ガンジーもアフリカで若い頃に働いていたように、移民にはヒンズー教徒も決して少なくはなかったことであろう。モスリム人口とキリスト教人口は、タンザニアではそれぞれ全人口の40%で、残りの20%がその他の土着性のつよい信仰であるとされている。

異教徒にも寛容なアッサラーム・アライクム

アジアやアフリカの国々では、生活の中に宗教が息づいている。日本では宗教的色合いの濃い挨拶言葉の使用を避けたいと思っている人も少なくないだろうが、私はこのことに固執しない。その土地に住む人々が日常会話で使っていれば、私は「異教徒であること」には固執しない。バングラデシュの挨拶は、モスリムは「アッサラーム・アライクム」、ヒンズーやキリスト教徒間、仏教徒間であれば「ナマシカール」である。日本語の「おはようございます」「こんにちは」「こんばんは」のようなものと思いがちであり、当初私もそう思っていたし、そう教えられもした。タンザニアに来る前の2024年1月末にも1週間ほどインドネシアのジョグジャカルタに滞在した。その時も意識して「アッサラーム・アライクム」を使ってみた。インドネシアのモスリムの人たちも、タンザニア同様に、はじけるような笑顔とともに「ワ・アライクム・アッサラーム」の挨拶が返ってきた。インドネシアにもタンザニアの「ジャンボ」のように「おはようとざいます」「こんにちは」「こんばんは」があり、こちらも使われている。しかし、私のモスリムの友人たちは、やはりタンザニアのモスリムの人たちと同じように私の「アッサラーム・アライクム」に笑顔で応えてくれた。インドネシアのモスリムにも、アッサラーム・アライクムに対する特別な感情を、その笑顔から読み取ることができた。
キリスト教、仏教という世界宗教が持たない、言語や文化、習慣を超えた共通の挨拶言葉の「アッサラーム・アライクム」「ワ・アライクサラーム」の直訳は「あなたに平安があるように」、「そしてあなたにも平安があるように」である。バングラデシュの村のモスリムの友人たちからは、「イスラームとは平和を意味する」とよく聞かされていた。モスリムには豚肉や飲酒のタブー、断食(ラマダン月の一ケ月)、女性の活動や服装の制限、ハマス、アルカイダ、ISなどに関するニュースのイメージから、モスリムを厳格で閉鎖的な人々とみなす傾向が日本の社会にはあるようだが、私のバングラデシュの村での経験では、むしろ、異教徒への寛容さと温厚さを感じてきた。
青年海外協力隊員としてノアカリの農村部で暮らしたときには、「アッラーフ・アクバールを三回唱えたら、おまえもモスリムだ」と村人にいわれて、皆で、大笑いした。これは南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)の念仏に通じるので分かりやすい。タンガイルの村では、モスクで金曜日の礼拝を行ったこともある。葬式のジャナジャや、祈りのミラッドにも参加した。

人の心を開き、つながりをつくるアッサラーム・アライクム

45年前の青年海外協力隊員時代、バングラデシュでは、ヒンズー教徒やキリスト教徒とモスリムの間の挨拶は、「アダッブ」を使うと教わったが、今では、この挨拶言葉を私は聞いたことがない。アダッブの替わりに、アッサラーム・アライクム、ナマシカールが臨機応変に使われていて、日常的な挨拶言葉には異教徒の意識は消えつつある。日本ではモスリム、イスラームというと、昨今の世界情勢から先に述べたように厳格で融通のない閉鎖的な宗教、暴力的なイメージをもつ人が多いが、大変な誤解だと思っている。私は「世界宗教」が人々に受け入れられていくためには、基本的には寛容さと簡潔な教えと実践があるからだと考えている。それがもっとも進化したのが「イスラーム」であり、「イスラーム」の後に出現した唯一の世界宗教とでもいえるものが「科学と経済発展を支えている近代合理主義」ではないだろうか。誰もが虜になりやすい。そしてこの現代の世界宗教は一方で社会を分断するベクトルを明らかにもっている。
しかし、日常生活で使われる「アッサラーム・アライクム」は人々の心を開き、人間の絆をつくっていく。バングラデシュ、インドネシア、タンザニアで、この挨拶言葉がモスリム間の挨拶として使われはじめたことは間違いないが、それ以上の意味を私はこの言葉に実感している。「アッサラーム・アライクム」の直訳の意味が、その発音や挨拶を交わす姿勢などにも反映されているのではないだろうか。背筋を伸ばし、まっすぐに相手の顔をみて、「アッサラーム・アライクム」「ワ・アライク―ム・サラーム」と挨拶を交わした時の、心がぱっと明るくなったような清々しさを感じるのは私だけではないだろう。誰もが言いやすい耳にここちよく入ってくる声音でもある。私がバングラデシュの人々に惹かれる一つの要素は、この言葉に現われている「外の人々を受け入れる」という寛容さであり、つながりを実感させてくれるからでもある。このことをタンザニアやインドネシアで再確認した。

 

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