日本バングラデシュ協会 メール・マガジン106号(2022年10月号) 巻頭言:『バングラデシュ美術教育のはじまり(2) —個性と自由のチッタゴン大学芸術学部、チッタゴン派の誕生』 福岡アジア美術館 学芸員 会員 五十嵐 理奈

日本バングラデシュ協会の皆様へ 
■目次  
■1)巻頭言:『バングラデシュ美術教育のはじまり(2)—個性と自由のチッタゴン大学芸術学部、チッタゴン派の誕生』
                                   福岡アジア美術館 学芸員
                                   会員 五十嵐 理奈          
■2)会員連載:『バングラデシュの人的資本発達史(その1)』
                                   広島大学教育開発国際協力研究センター
                                   副センター長・准教授
                                   会員 日下部達哉
■3)会員便り:『マイメンシン地域の自然や文化の特徴』
                                   東京外国語大学准教授
                                   会員 東城 文柄

■4)理事寄稿:『途上国への思いを貫いて』
公益財団法人 国際開発救援財団
事務局長
理事 今西浩明

■5)イベント、講演会 
■6)事務連絡
■7)読者のひろば
・メルマガ9月号各寄稿への読者の感想をご紹介します。
・メルマガ寄稿への感想ほか、お気づきの点など、なんでもお寄せ下さい。
■8)編集後記

■1)巻頭言:『バングラデシュ美術教育のはじまり(2)—個性と自由のチッタゴン大学芸術学部、チッタゴン派の誕生』
                                   福岡アジア美術館 学芸員
                                   会員 五十嵐 理奈

近年、ますます活気にわくバングラデシュ美術。その礎となったバングラデシュ近代美術の創成期を、美術教育の立ち上げに関わった美術作家と美術学校の活動から3回シリーズで紹介します。

シリーズ2回目は、チッタゴン大学芸術学部を紹介する。1回目で紹介したダッカ美術学校(現ダッカ大学芸術学部)が絵画技法の訓練を重視し、国の美術の創出を使命としていたのに対し、地方の港湾都市チッタゴンでは、首都ダッカとは異なる独自の美術が展開した。ダッカの美術には、イスラームの影響を受けた半抽象的な絵画が多いが、一方、チッタゴン美術はベンガルの民俗芸術・大衆芸術の鮮やかな原色、物語を感じさせる構成、具象的な表現を特徴とする。チッタゴン大学芸術学部は1969年に設立され、個性と自由を尊重する教育を大切し、実験精神に富んだ作家を輩出した。そこには、1950-60年代にヨーロッパで美術を学んだひとりの美術作家の尽力があった。
ラシッド・チョードリー(1932-86)は、ダッカ美術学校を卒業した後、スペインに渡って彫刻を学び、さらにフランスでフレスコやタペストリーを学んだ。帰国後の1969年、新しく設立されたチッタゴン大学芸術学部で教鞭をとることになった。彼は留学先の大学で受けた美術教育にならい、何よりもまず自分自身が描きたいものを自由に描くという作家の個性を重視し、チッタゴン大学の美術教育方針の基礎を築いた。彼はダッカ大学で守られていたような師弟関係をもたず、また宗教的、技法的な規則に従うよりも自由に新しいものへと挑戦すること、テクニックを磨くよりも美術理論を学ぶことを重要とする姿勢を貫いた。また、自らがベンガルの特産であるジュートを用いたタペストリー作品を制作したように、土地に根ざした日々の生活の身の回りにあるもの——ベンガル民俗芸術の工芸品や皿絵などの要素を引用したり、演劇や音楽など美術との隣接領域の作家たちとの恊働プロジェクトをすすめるなど、美術のなかに閉じこもらない表現のあり方を目指した。

1970年にダッカ大学に先んじて修士課程を開設して高等教育の制度を整え、1973年にはチッタゴン芸術専修学校を設立して幅広く美術を学べる機会も作った。こうして、修士課程を目指すダッカ美術学校の卒業生など、彼の人柄と美術教育方針に共鳴した若い作家たちが、各地から教師や学生としてチッタゴンに集まってきた。このように60年代末から80年代末にかけてチッタゴンで美術を学んだり教えたりし、自由な独創性と実験精神に富んだ作家たちは、後に「チッタゴン派」と呼ばれるようになった。
チッタゴン派をさらに活性化させたのが、チッタゴンの作家たちの留学先であったインド西部のヴァドーダラーのMS大学美術学部やシャーンティニケータンのヴィシュワ・バーラティー大学美術学部で教鞭をとったインドの巨匠K.G.スブラマニヤン(1924-2016)の存在である。彼は、ラシッド・チョードリーと同様に自由に描くことを重視するとともに、その自由さを支える美術理論や美術史を作家自身が学ぶべきだと説き、当時のバングラデシュではあまり教えられることがなかった姿勢に、チッタゴンからの留学生は多くを学んだという。
地方都市であるチッタゴンは、美術市場が未整備である。そのため「売れる絵」を描く必要も機会もなかったことから、逆に自由に表現を追求することが許された。個性と自由を尊重する教育を受けたチッタゴン派の実験的な試みは、市場のある首都ダッカを中心に展開していた類型的な半抽象画の単調さを打ち破る働きをし、90年代までのバングラデシュ美術において先駆的な役割を果たしたのである。
その後、近年の美術市場や情報のグローバル化により、地域固有の特性をもつ美術の動向は弱まった。しかし、チッタゴン派の特徴は、今もバングラデシュ美術界に大きな影響を与えている。

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