日本バングラデシュ協会 メール・マガジン118号(2023年8月号)巻頭言:『チョラ今昔』 東京外国語大学元教授 丹羽京子

日本バングラデシュ協会の皆様へ

■目次
■1)巻頭言:『チョラ今昔』
                   東京外国語大学元教授
                   丹羽京子

■2)ブラザー、ブラザー
                   在バングラデシュ日本国大使館 公使
                   町田 達也(まちだ たつや)

■3)追悼寄稿:『優しく闘い続けた 河野一平君のこと(後編)』
 ―デザイナー 故河野一平 追悼(その4)-
                   グラフィックックデザイナー designFF
                   シャプラニール=市民による海外協力の会前代表
                   福澤郁文

■4)会員寄稿:『ムジブル・ラーマンの公賓訪日(その1)』
 -ムジブルの訪日希望から日程調整まで-
                   会員 太田清和

■5)人生を変えたバングラデシュとの出会い
                   東京外国語大学ベンガル語専攻2021年卒
                   株式会社マザーハウス 新規事業/PRチーム
                   根形 奈々

■6)『事務連絡』

■7)『読者のひろば』
・メルマガ7月号の各寄稿への読者の感想をご紹介します。
・メルマガ寄稿への感想ほか、お気づきの点など、なんでもお寄せ下さい。

■8)編集後記

 

■1)巻頭言:『チョラ今昔』
                   東京外国語大学元教授
                   丹羽京子

【チョラとはなにか】

雨は降るよざあざあと 河は洪水になった

シブタクルは結婚した 三人の娘と

一人の娘は料理をして 一人の娘はそれを食べ

一人の娘は食べないで 父さんの家に帰っちゃった

 

ベンガル語に少し慣れ親しんだ人なら聞いたことがあるかもしれない。「ブリシュティ ポレ タプル トゥプル」にはじまる独特のリズムが心地よいこの文言は、ベンガルに古くから伝わるチョラの一節である。チョラとは一種の戯れ歌で、長きにわたって口伝えで培われてきたのだが、近代化のあおりを受けて19世紀末には消滅しようとしていた。そしてそれを消滅から救ったのはまたもやタゴールである。タゴールはこれを貴重なベンガル文化と捉え、その収集に力を尽くした。

そのかいあって、こうした古いチョラが集められたのみならず、あらたに「読まれるもの」として『お嬢ちゃんのチョラ(ジョギンドロナト・ショルカル編, 1899)』のような本も出されるに至る。ただし、このチョラの「復活」はあくまで「子ども向け」のものであり、「児童」も「児童文学」も存在していなかった近代以前の、そして本来のチョラを反映したものではなかった。

冒頭に挙げたごく短いチョラからも見てとれるように、チョラの本分は「ナンセンス」にある。ここでも河が洪水になったことと、シブタクル(チョラによく登場するキャラクターの名前)が結婚したことには何の関係もない。そうした脈絡のなさを支えているのが、チョラ特有の韻律である。チョラはまず、脚韻を踏むことなしには成り立たない。そしてベンガル語の韻律の最もシンプルなかたち、音節をベースにした韻律形で4音節を基本に作られる。

 

【今日のチョラとシュクマル・ラエ】

今日のチョラも、このスタイルに変わりはない。ベンガル語の初等教科書にはチョラと銘打った短めの韻文が多数掲載されているが、すべてこのかたちで書かれている。そしてベンガル人の子どもはたいていこの同じスタイルで詩を書き始め、そのこともあって子どもが書いた詩も通常チョラと言われる。

そうした「子ども向け」に特化した現代のチョラに異を唱え、ナンセンスを現代風に昇華した作品群を残したのが、ショットジット・ラエ(映画監督のサタジット・レイ)の父、シュクマル・ラエ(1887—1923)である。シュクマルは諧謔精神に満ちた数々の作品を書き、ついにはチョラという名称を使うことも拒否してしまったのだが、やはりこれらも同じスタイルであるがために結局はチョラと呼ばれている。シュクマルのチョラには、子どもにとってもおもしろいが、大人になってあらためて読むと別のおもしろさを発見するような二重の意味が隠されている。そしてそれらを愛好するベンガル人は今なお多い。

 

あひるがいた、やまあらし、(文法なんて知らないぞ)、

あひあらしに なっていた、どうやってなんて知らないぞ。

 

にはじまるチョラはだれにでも親しまれているが、これには「キチュリ」というタイトルがつけられている。キチュリは一種の混ぜご飯のようなものだが、このチョラにはキチュリは一切出てこない。代わりに出てくるのはこの「あひあらし」のような珍妙な合体動物のみである。ここにはシュクマル自身が描いた数々の合体動物の挿絵もついていて、子どもたちはそれに惹かれ、そしてリズミカルなこのチョラをそらんじるのだろうが、大人たちはここに込められた寓意を楽しむ。すなわちシュクマルはなんでもまぜこぜにするベンガル人をからかっているのだが、例えば英語交じりのベンガル語をキチュリ語と言ったりすることを思い出せば、その真意が明らかになるだろう。

 

【シュクマルの諧謔精神】

シュクマルは英領インド時代の人で、自身もイギリス留学の経験を持つが、中途半端なイギリス人気取りをする新興中産階級のありようを痛烈に批判している。

 

最高級の布地で仕立てた

上等のジャマとドーティー※1

金糸の刺繍のサンダルを履き

こちらの手には金の時計

あちらの手にはしゃれたステッキ

あたりに香水の香りを振りまいて

髪はてかてか整えられて

きっちりサイドで分けてある――

 

にはじまる「バーブー(旦那さん、ほどの意味だが当時は皮肉を込めて使われた)」は、このバーブーが通りがかりにパーンの染みをつけられ、反対側から来た馬車には泥水をかけられるという筋書きで、そこにはバーブーに対する同情はみじんもない。もうひとつ皮肉の込められたチョラを挙げてみる。

 

 

 

鍋を片手に、ひげ面の、あのおじいさんはだれ、

暑いさなかに木切れを煮立て、舐めているのはなぜ

頭を振り振り、鼻歌をふんふんと――

それを見て思う、なんだかわからないが、たいした学者だ!

 

 

 

「棒きれ爺さん」挿絵

こちらは「棒きれ爺さん」というタイトルで、棒を舐めたり噛んだりした末に棒のことならなんでも知っていると豪語するおじいさんが描かれている。これも子どもにとっては珍妙なおじいさんがおかしいだけだろうが、大人が読むと、それにどんな意味があるのかというという大きな疑問符がつく。そしてこれは学者もしくは「学者もどき」を揶揄したものと考えられている。

かようにシュクマルの諧謔精神は、百年経った※2今でも十分通用するが、それが今でも通用するというのは嬉しいことなのか、悲しいことなのか、ちょっと悩んでしまう。

 

※1いずれも男性用の衣服。ジャマは上衣で、ドーティーは腰布のように巻く。

※2シュクマル生前に編まれた唯一の単行本『アボル・タボル(ナンセンス)』はちょうど百年前の1923年に出版されている。

『アボル・タボル』表紙

 

 

なお、チョラについてさらに詳細を知りたい方は、以下の論文を参照されたい。

「チョラと『近代』~シュクマル・ラエのチョラを巡る一考察~」

『東京外国語大学論集』第97集、2019年2月 pp226-245

 

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