日本バングラデシュ協会 メール・マガジン132号(2024年10月号) 巻頭言:『ベンガルの大地を描くこと1 ― S.M.スルタン』 福岡アジア美術館 学芸員 会員 五十嵐 理奈
■目次
■1)巻頭言:『ベンガルの大地を描くこと1 ― S.M.スルタン』
福岡アジア美術館 学芸員
会員 五十嵐 理奈
■2)追悼文:『井上正幸元理事への感謝を込めて』
日本バングラデシュ協会会長
渡邉正人
■3)追悼文:『井上さんのこと』
日本バングラデシュ協会メールマガジン編集長
丹羽京子
■4)特別寄稿:『今バングラデシュで何が起きているのか、何がこの状況をもたらしたのか
~前編~』
日本バングラデシュ協会元副会長
モンズルル・ホク
■5)立教大学のバングラデシュツアーについて
立教大学 異文化コミュニケーション学部 教育研究コーディネーター
吉川みのり
■6)『イベント情報』
■7)『事務連絡』
■8)『読者のひろば』
・メルマガ9月号の各寄稿への読者の感想をご紹介します。
・メルマガ寄稿への感想ほか、お気づきの点など、なんでもお寄せ下さい。
■9)『編集後記』
■1)巻頭言:『ベンガルの大地を描くこと1 ― S.M.スルタン』
福岡アジア美術館 学芸員
会員 五十嵐 理奈
バングラデシュのアイデンティティにおけるベンガルの農村文化や大地の重要性を説き、描いた、近代美術のモダン・マスターズを3回シリーズで紹介します。
異様なまでに筋肉隆々の男たちが、槍と盾を手に、一面の緑の水田に陣を構えています。精悍な顔つきで行く手を睨み、褌ひとつ身につけただけの姿で何かと闘おうとしています。村の人々は、なぜこんなに筋骨たくましい姿で描かれたのでしょうか。
ボヘミアン作家と言われたS.M.スルタン(Sheikh Mohammad Sultan,1924-1994)は、美術作家として、また教育者として、バングラデシュのアイデンティティにおいて農村文化の重要性を説いた人物として知られています。
![]() S.M.スルタン「土地奪取-2」油彩・麻布、1986年 (Art of Bangladesh Series-4, S.M.Sultan, Bangladesh Shilpakara Academy, 2003より) |
現在のノライル県に生まれたスルタンは、1941年にカルカッタ官立美術学校に入学しましたが、卒業を待たずに学校を辞め、絵を描いては売りながら英領インド各地を放浪しました。光や自然の色が美しい風景画を得意とし、各地での展覧会の評判から1950年代には欧米で活躍するまでになっていました。
しかし、その活躍の最中、1953年に故郷ノライルに戻りました。長い放浪の末、他地ではなく故郷こそが自分が仕事をする場所であると気づいたのです。チットラ河を眺める古い建物に子どものための美術学校をたちあげ、村の人々にも絵を教えるなど農村での美術教育に身を投じました。平凡な村人が美しい詩を謳うように、生活のなかから生まれる美しい線を描く力を育てようとしたのです。その一方で、自身は作品制作から遠ざかりました。それから23年もの歳月を経た1976年、ある薦めがあって初めてダッカで個展を開催した時のこと、スルタンの描く絵には、これまでになかった筋肉質の力強い男性と女性の農村労働者の姿が現れました。
当時、現実の社会では、農民は土地を奪われて小作人となり、自らが食べるのもままならない人も多くいました。しかし、「土地奪取」(1986)に描かれる農民は、自らの土地を権力者から奪取し、やせっぽちの体ではなく、土を耕すなかで鍛えられた打ち負かされることのない強い肉体をもち、植民地支配や度重なる飢饉のなかで生きるたくましい英雄として描かれました。
スルタンは、絵画をとおして「搾取される現実への挑戦」(スルタンの言葉)をしていたのです。温かで寛容な人柄だったスルタンは、その後晩年までベンガル農民への愛と敬意を抱き、弱者に宿る不屈の力を表現しつづけました。
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