日本バングラデシュ協会 メール・マガジン(137)2025年3月号 巻頭言:巻頭言:『魔法の言葉ジュクティ(যুক্তিYukti)』 京大東南アジア地域研究研究所 安藤和雄

■目次
■1)巻頭言:『魔法の言葉ジュクティ(যুক্তিYukti)』
京大東南アジア地域研究研究所
安藤和雄
■2)寄稿:『井口武夫大使のご逝去を偲び、日本人学校の建設を思う』
小栁順一
■3)寄稿:『教室から世界へ~バングラデシュ人と日本人のオンライン交流~』
日本語教師
熊本大学大学院 社会文化科学教育部 博士課程 教授システム学専攻 1 年
鵜澤威夫
■4)寄稿:『BJEP2023~バングラデシュ-日本国際交流プログラムに参加して~』
東京大学大学院総合文化研究科多文化共生・統合人間学プログラム修士 2 年
ラフマンヌール瑠美花
■5)『イベント情報』
■6)『事務連絡』
■7)『読者のひろば』
・メルマガ2月号の各寄稿への読者の感想をご紹介します。
・メルマガ寄稿への感想ほか、お気づきの点など、なんでもお寄せ下さい。
■8)『編集後記』

 

■1)巻頭言:『魔法の言葉ジュクティ(যুক্তিYukti)』
京大東南アジア地域研究研究所
安藤和雄

力車夫との会話に学ぶ
バングラデシュの人たちと話していて、日本人には馴染みのないはっとするようなことがあります。例えば、力車夫との乗車賃の交渉です。乗る前に行く場所を伝えて運賃を決めます。時々、力車夫は場所をよく知っていないのに、お客が欲しいので乗せたりします。目的地に到着し、「だんな、遠かった。この運賃じゃ」という話が出たりします。けれども「乗る前に、決めたじゃないの」と言うと、しぶしぶ、「そうだな」と、聞き分けがよいことが多いのです。客の示した「ジュクティ」に力車夫が納得したのです。逆に、力車夫のジュクティに客が納得すれば、運賃を上乗せします。ジュクティについては後述しますが、日本の社会の現場で遭遇する忖度や、後だしジャンケンではなく、言葉を交わして理屈や論理を議論することが、バングラデシュでは交渉の基本となっています。

カウンターパートの驚き
20 年近く前のことになりますが、JICA のカウンタ-パート研修で、バングラデシュ農村開発公社の I さんに、半年近く滋賀県の農村に入ってもらいました。そのさい、I さんが村の自治会で採決をとる場面に遭遇した時のことです。最初、議長が「賛成の方挙手をお願いします」と言うと、数人が挙手しただけだったので、議長が「もう一度採決するので挙手をお願いします」というと、半分くらいの参加者が挙手し、それでまた議長が「これで最後にしますので、挙手をお願いします」というと、全員が挙手したそうです。I さんは「なんであんなことするのか、どういうことなんだ」と私に聞いてきました。忖度や、場の雰囲気を読む、という日本社会の深層にあるなにものかが働いていたのでしょう。私もよく似た現象を経験しています。理屈や論理ではないのです。しかし、I さんにとってはまったく不思議なことだったのでしょう。

ジュクティ
日本とバングラデシュのこの違いを解く鍵が、ジュクティという言葉だと私は考えてきました。バングラデシュで長年生活してきて、耳から離れない言葉はいくつもありますが、ジュクティはその一つです。発音のアルファベット表記は、Yukti ですが、日本語では、Yu はジュに聞こえ、私はジュクティと発音しています。英語では、Logic とか Rationale と翻訳されます。
日本語では、理屈、論理、論理的な説明・議論、論拠、などと解することができるでしょう。

ジュクティの使われ方
ジュクティという言葉を私が意識するようになったのは、1986 年 5 月から 1995 年 12 月にかけて断続的に、農業農村開発に関する JICA 研究協力事業の長期派遣専門家として、調整業務や農村開発のためにバングラデシュに赴任していた時でした。仕事柄、プロジェクトで雇用する現地スタッフや、村人、バングラデシュ農業大学、コミラやボグラの農村開発アカデミー、農村開発公社のカウンターパート、行政関係者との様々な交渉をし、合意形成、説得を行う必要が出てきました。行動、計画の選択など価値判断に関わるベンガル語での会話が一気に増え、そうしたバングラデシュの人たちの会話にも注意が向いたのでした。
その典型がビチャールでの会話でした。JICA の事業で私が担当していた D 村では、ビチャールと呼ばれる村の仲裁の寄合(村の評議会)がありました。ビチャールでは、マタボールと称される 5~7 人の村のリーダーたちがその場で評議会をつくります。村の問題をビチャールに訴えた人と訴えられた人、その関係者が一堂に会して、マタボールたちの中から選定された議長の進行のもと、マタボールたちが双方の言い分を聞き、議論が交わされます。ビチャールでも、マタボールたちの口からジュクティという単語が頻繁に発せられていました。

ジュクティは、ビチャール以外にも村人の会話の中でしばしば用いられています。友人の R さんによく使う文例を以下に示してもらいました。
・ত োমরো যুক্তি করর কোজ কররো। (トムラ ジュクティ カジ コロ)
⇒あなたたちは(論理的に)議論しながら仕事をしなさい。
・ত োমোর কথোয় যুক্তি আরে। (トマル コタエ ジュクティ アチェ)
⇒あなたの話には合理性(ロジック)があります(理屈がとおっています)。
・ঐ ত োরো কক যুক্তি ককরস। (オイ トラ キ ジュクティ コリシュ)
⇒あなたたちはどんな(合理的な)議論をしたのですか 。
・ওর কথার ককান া যুক্তি ক ই। (オル コタエ コノ ジュクティ ネイ)
⇒彼の話にはなんの合理性もないです。
・আমোরক যুক্তি তেখোও। (アマケ ジュクティ デカオ)
⇒私に合理的な理屈を示してください。
・যুক্তি উপস্থোপন কররন। (ジュクティ ウポスタポン コレン)
⇒合理的な話を示してください。

当事者間の納得できないことを解消するために、このような「合理性」「理屈」などの言葉を日常的な会話で用いたなら、日本では理屈ぽいと嫌がられてしまいます。バングラデシュの人たちは、会話や議論好きだとよくいわれますが、これはわからないことや相手の言い分を、言葉、つまり論理や理屈であるジュクティで理解しようとしているからではないでしょうか。
日本では、場の雰囲気や情、忖度が優先され、暗黙のうちに同調圧力が働くために、言葉での理解が好まれないのかもしれません。

民主主義とバングラデシュの人々
JICA 専門家時代に、様々な役所や村での会議に出た時に、印象に残っているのが「今日の会議では、まったく、反対意見が出なかったのがおかしい」と会議の後でバングラデシュの知り合いから指摘されたことです。バングラデシュの人たちは、違うこと、異なっていることが、当然だという考え方をもっているようでした。その後、研究協力の専門家として研究成果をまとめるにあたって、英領期後半、英領政府調査官が英領政府の村での地租徴収の方法を検討するために、村のリーダーたちの実態を調べた報告書に目をとおしていたら、「ここ(東ベンガル)には、この地の民主主義が存在している」という内容のイギリス植民地政府のコメントに出あいました。私の実感をイギリス人ももっていたことが確認できて嬉しかったのを今でもはっきりと記憶しています。民主主義が成立するためには、その土台となる個人主義の確立が必要で、バングラデシュ(東ベンガル)のリーダーたち(マタボールたち)の行動や考え方に英領政府調査官はそれを発見していたのです。民主主義には個人主義が不可欠で、理屈、論理で考える習慣が生活に根づいていることが重要であり、それが個人の存在を受け入れさせるのだと思っています。情では民主主義の社会文化は定着していきません。これはバングラデシュでの経験をつうじて確信した、私の学びでもあります。

怒りも鎮める魔法の言葉
長期派遣専門家としての派遣以前には、青年海外協力隊員としてバングラデシュのノアカリ県の農村部に農業隊員として派遣されていました。当時の男性の隊員たちの多くは、自宅でお手伝いさんを兼ねた料理人(バブーチ)を雇って、身の回りの世話をしてもらっていました。仕事などの不満があったりすると、バブーチを頭ごなしに叱ったりしていたものです。
大学卒ですぐに赴任した私も、よく短気を起こしました。しかし、バブーチをはじめ村人たちや職場の人たちは、怒り返すことなく文句も言わずに受け入れてくれました。思い起こすとバングラデシュの人たちは、一般的に心が広く、日本人の不満や怒りによく耐えて受け流してくれていました。きっと感情にとらわれることなく、理屈(理性)で考える癖が身についているからではないかと思います。ジュクティで考えれば、意見の隔たりや違いを、違いとして受け入れ、納得していくことができる。ジュクティの有る無しは、バングラデシュの人たちにとっては大変重要なことです。ジュクティのない怒りはやり過ごします。ジュクティがあれば、納得してくれます。ジュクティとは、バングラデシュの人たちに囲まれて仕事や生活してきた私の戻るべき原点であるとともに、私にとっても魔法のような言葉なのです。

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