日本バングラデシュ協会 メール・マガジン114号(2023年4月号) 巻頭言:『セリナ・フセインのこと』 理事 丹羽京子

日本バングラデシュ協会の皆様へ
■目次
■1)巻頭言:『セリナ・フセインのこと』
理事 丹羽京子
■2)会長寄稿:「鳴門市とナラヤンガンジ市との友好都市提携」
会長 渡辺正人
■3)寄稿:『元青年海外協力隊員の回想 バングラデシュの水と農業について』
元青年海外協力隊員 本田達夫
■4)会員寄稿:映画『メイド・イン・バングラデシュ』の反響
神戸女学院大学文学部英文学科 准教授
会員 南出和余子
■5)会員寄稿:『バングラデシュの人的資本発達史(その3)』
広島大学教授
教育開発国際協力研究センター
会員 日下部達哉
■6)イベント、講演会
■7)事務連絡
■8)『読者のひろば』
・メルマガ3月号の各寄稿への読者の感想をご紹介します。
・メルマガ寄稿への感想ほか、お気づきの点など、なんでもお寄せ下さい。
■9)編集後記

■1)巻頭言:『セリナ・フセインのこと』
理事 丹羽京子

【「パルル、母になる」】
バングラデシュを代表する女性作家、セリナ・フセインに「パルル・母になる」という短編がある。主人公は、ノアカリの貧しい日雇い労働者のもとに嫁いだパルル。パルルは必死で働き、厳しい生活を受け入れ、それなりの日々を過ごしていたはずだった。しかしある日、夫が突然蒸発してしまう。パルルにはそのわけがわからない。しばらくして、風の便りに別の村で夫が新たに結婚したことを聞く。怒りに震えるパルルだったが、しだいに自分がどうすべきか、どうしたいのかがわかってくる。数か月後、パルルはだれが父親かわからない子どもを身ごもる。村の人間は彼女を非難するが、パルルは断固として自分が父でもあり、母でもあると言う。そういうパルルを密かに応援するものもいる。同じように夫に捨てられた女たちである。物語の最後で、こそこそと自分の子かどうかを確かめに来る男たちをパルルは笑い飛ばす。

【「モティジャンの娘たち」】
もうひとつ同じセリナ・フセインの短編を紹介しよう。タイトルは「モティジャンの娘たち」。この物語の主人公、モティジャンも、貧しい家に意に沿わず嫁いでいる。夫は失踪しているわけではないが、家にいたりいなかったりで、まるで頼りにならない。しかしモティジャンの問題は夫ではなく、鬼のような姑にあった。約束したダウリを持ってこなかったと言ってはいじめ、口答えをすると暴力をふるい、あげくのはては家の外に追い出して草でも食えというような姑である。はじめ泣きながら反論していたモティジャンだが、ひたすら強くなりたいと願い、なにも食べさせまいとする姑を出し抜いてみせる。すると姑は、今度は子どもができないことを責め立てる。まさに嫁姑の戦争である。生まれたのが立て続けに女の子だったことで、姑は息子を離婚させると息巻くが、物語の最後でモティジャンは、「あんたの息子なんかに望みをかけていたら、娘たちだって授かりゃしなかった」と言い放つのである。

【パルルとモティジャンの「怒り」】
いずれもなかなか強烈なストーリーである。パルルもモティジャンも、自分の不幸をいつまでもめそめそと嘆いていたりはしない。パルルはもともと働いていたし、夫に出て行かれても心細く思うより、ひたすら自分がないがしろにされたことに対して怒りを覚えている。モティジャンも、もともと自立を考えていたのに、父親が結婚を無理強いしたことに納得がいかない。パルルの場合は何も言わずに出て行った夫、モティジャンの場合は敵と思しき姑と怒りの矛先は異なるが、パルル、モティジャンとも、その内に秘めた強烈な怒りが不条理とも言える状況を押し戻す梃子(てこ)となる点は共通している。そして二人ともが夫ではない男の子どもを身ごもり、母親になる、あるいは母親である、という意識が彼女たちを確固とした存在にするのである。
こんな小説を書くのはどんな人だろうと思いきや、実際のセリナ・フセインは穏やかで、凛とした知性とともに、包み込むような優しさも感じさせる女性である。とても内に「怒り」を秘めているようには見えないのだが、作中の「怒り」は個人的なものではなく、不当に耐えているあらゆる女性の「怒り」を自分の内に捉えたゆえのものなのだろう。

【セリナ・フセインという人】
セリナ・フセインは分離独立の1947年にラジシャヒに生まれ、ラジシャヒ大学で学位を取ったのち、ダッカのバングラ・アカデミーに職を得ている。作家デビューは独立直後の72年、長編小説『高波』によってであった。彼女の本領は、多くのベンガル人作家のようにやはり長編小説にあるとみなされているのだが、なかでも1994年から96年にかけて発表された『ガーヤトリの夕べ』は、分離独立の1947年からムジブル・ラーマン暗殺の75年までを扱った一大サーガで、間違いなく彼女の代表作と言えるだろう。
とはいえ彼女は短編も数多く上梓していて、先に挙げたような女性の苦悩や力強さを描いた作品は人々を(特に女性を)勇気づけているし、そうした使命感も持っているに違いない。ずっと以前に短編をひとつ訳すとしたらどれがいいですかと尋ねた際に、躊躇なく先の「パルル、母になる」を挙げていたことを思い出す。
そんなセリナ・フセインだが、一度だけ大きな不幸に見舞われたこともある。パイロットだった娘さんを飛行機事故で亡くしたことである。このときばかりは彼女もしばらく筆を取れなかったそうだ。しかし、しばらくして復活を遂げ、現在も活躍中である。
もちろん作家として名を成したとしても、苦労がないわけではない。セリナ・フセインはこれまでさまざまな活動をし、ときに要職についてきたが、そのたびに「女は台所にいろ」などの脅迫とも思しき電話がかかってきたりすると言う。しかしそうした出来事を、たいしたことでもないように話す度量の深さは人を惹きつけてやまないし、彼女を敬愛する若手作家や尊敬する文化人も多い。その長い努力と道程を経て、セリナ・フセインは、バングラデシュを代表する「女性作家」からバングラデシュを代表する「作家」のひとりとなり、現在バングラ・アカデミーの会長を務めている。

※「パルル、母となる」は、「母となるパルル」の題名で2006年に国際交流基金の冊子に奥田由香訳で載せられたが、その後公刊されていない。「モティジャンの娘たち」は拙訳『地獄で温かい』に収められている。


【セリナ・フセイン】

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