日本バングラデシュ協会 メール・マガジン97号 2022年2月号巻頭言:『バングラデシュ独立と美術作家たち(4)――ノヴェラ・アフメッド』福岡アジア美術館学芸員 会員 五十嵐理奈
日本バングラデシュ協会 メール・マガジン97号(2022年12月号)
日本バングラデシュ協会の皆様へ
■目次
■1)巻頭言:『バングラデシュ独立と美術作家たち(4)――ノヴェラ・アフメッド』
福岡アジア美術館学芸員
会員 五十嵐理奈
■2)現地便り:『ジャパンSDGsアワード(総理大臣賞)受賞の経緯と意義について』
グラミンユーグレナCEO兼ユーグレナ海外事業開発部担当執行役員
佐竹右行
■3)寄稿:『シャンティニケトンとバウル』
独立行政法人 国際協力機構(JICA)
東京外国語大学ベンガル語専攻2016年卒
加藤梢
■4)寄稿『バングラデシュの人口動態変化とそのインプリケーション(後編)』
前ユニセフ・バングラデシュ国事務所代表
穂積智夫
■5)理事連載: 『バングラデシュの独立に寄り添う(1972年2月)日本の承認
理事 太田清和
■6)イベント、講演会の案内
■7)『事務連絡』
■1)巻頭言:バングラデシュ独立と美術作家たち(4)――ノヴェラ・アフメッド
福岡アジア美術館学芸員
会員 五十嵐理奈
バングラデシュ独立運動に関わった美術作家を、独立の発端となった言語運動、独立戦争時、戦後にわけてコラムで紹介する4回シリーズ最終回。
バングラデシュの2月は、1952年のベンガル語公用語化運動で殉難者を生んだ「エクシェイ(21日)」の月である。殉難者を弔う記念碑「ショヒド・ミナル」は、独立バングラデシュを象徴する碑として全国各地、またバングラデシュ移民が暮らす世界各都市、そして日本の池袋にも建立されている。
現在、首都ダッカに建つ中央ショヒド・ミナルは、鉄とコンクリートを素材としたミニマルな様式の彫刻である。先頭部が前傾した5本の白い柱は、中央の高さ14mの柱がベンガルの大地(母)を、左右に2本ずつある低い柱が4人の殉難者(子)を表している(図1)。
実は、1952年の言語運動事件の直後、さまざまな団体が現場に手造りの慰霊碑を建てていた。その後、1957年に東パキスタン州政府が公式の記念碑を建てることを決め、画家ハミドゥル・ラーマン(Hamidur Rahman, 1928−88)と彫刻家ノヴェラ・アフメッド(Novera Ahmed, 1939−2015)が、そのデザインを手がけた。親しい友人であった2人は、ちょうどその前年にヨーロッパ留学から一緒に帰国したところで、師にあたるダッカ美術学校校長のザイヌル・アベディンの推薦を受けてコンペに参加し、選ばれたのである。
2人は52種類にもおよぶデザイン案を作り、最終デザインは、階段状の大きな基礎の上に5本の柱を建て(図2の模型)、その周囲に約92㎡の広さにおよぶ壁画を設置することで、劇場の舞台のような空間全体をデザインしたものだった。おそらく彫刻家のノヴェラ・アフメッドが中心的に彫刻のデザインにあたり、多くのすぐれた壁画作品を残したハミドゥル・ラーマンが壁画を手がけたと思われる。ノヴェラ・アフメッドは、弱冠21歳の若さで東パキスタン初の彫刻の個展(1960年)を開いた才能あふれる彫刻家であった。
2人のプランに基づき、1957年11月に竣工、5本の柱の基礎が据えられた。しかしながら、制作工事は1958年の戒厳令により中断し、完成したのは1963年2月のことであった。壁画には、ベンガルの自然や言語運動での人々の抵抗の姿が描かれ、ベンガル人としてのアイデンティティーが視覚化された。ショヒド・ミナルは60年代をとおして独立運動の拠点となり、人々はこの場に集い、ポスターやバナーを掲げて声をあげた。それゆえ、1971年3月25日の西パキスタンの軍事侵攻でショヒド・ミナルは攻撃の対象となり、5本の柱も周囲の壁画もすべて破壊されてしまった。現在、私たちが目にできるショヒド・ミナルは、当時のデザインを模して1972年に再建されたものだが、壁画が再現されることはなかった。
バングラデシュ最初の彫刻家ノヴェラ・アフメッド。女性の彫刻家として活動するには厳しい環境だった東パキスタンを60年代初めには去り、ベンガルを想いながらも彫刻を学んだパリで77歳の生涯を終えた。母国を去ったことで忘れられていた彼女の再評価が2000年代からすすみ、ショヒド・ミナルのデザインに大きな貢献をしていたことも明らかになってきている。
[図版引用元]Khaled, Moinuddin ‘Second Generation Artists: a. Hamidur Rahman’, Selim, Lala Rukh, ed., Art and Crafts: Cultural Survey of Bangladesh Series-8, Asiatic Society of Bangladesh, Dhaka, 2007.
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